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その瞬間、過去にあった書物への解釈の談話での出来事が頭をかけめぐった。
折りしも、ジブリ好き集まれってな具合のコミュでのことだ。「もののけ姫」のストーリーライン、アシタカの背景、時代背景、サンの背景、、、これらをさくっと私の解釈を述べた。それまで、解釈を話していたひとたちがいなくなった。これは、失礼なことをしたのではないかと考え、それ以上は語ることはなかった。
もし、仲のよいひとたちだけで作られたスレッドならば、そう文言があるはずだが、書き込み相手は誰でもよいはずだった。が、時間をおいても帰ってくることもなく、新規参入者の書き込みもなく、新しいスレッドがたつこともなかった。私はなんだかおかしな気持ちになって、ただ、さみしく思ったものだ。
私が書き込んだのは、なぜアシタカはアニミズム文化の村王であったか、アシタカが髪を切ったのはなぜか、サンが孤児であることで何を表現したのか、人間社会とモノノケ(自然)の間でサンとアシタカはなにものであるか、エボシがなぜ女性でなければならなかったか、アシタカののろいはどのように増幅するのか、あの黒いものは何を表現しているのか、室町時代後期の混沌期だと思われるが云々。興奮状態はマックスを迎え、アシタカとサンがなぜ共同で、シシガミの首を返したか、それは何を意味するのか。
芸術家の叔父に私のショートショートの感想をもらったときも。
鳥に食べられた小人が排泄物から再生するところがクレイジーでしょう?と言ったらば、全然クレイジーじゃないよと返された。宮澤ケンジが「星をつかむ」のはクレイジーではないから、と言われた。投げかけた言葉が本質的に取り違えて受け取られた不快感でいっぱいになった。
何をメタファーにしたかに過ぎないでしょう?お話にメタファーがないほうが変、メタをとることがクレイジーではないのは当然よ。創作なんだから。
ただ、彼らはその世界をそうやって遊んでるに過ぎないのよ。それはクレイジーでもなんでもないわよ。ただ、小人がうんこから再生するっていう感じがクレイジーだって思えるってだけよ。
「もっと残虐的な話はある。だいたい童話とは残酷なものだ」
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