プロは違うねぇ!!

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私はほかっておいたら、情景描写まで比喩がふんだんになる。6年前くらいに、友人に私の小説を見せたら、比喩で遊んでるね、と返ってきた。私は小説とはそういうものだと思っていたので、びっくりした。背景を言葉でどう表現するか、がその作家の味わいを出すものだとも、思っていたからだ。 彼女が読んだ私の小説のタイトルは「逃げる女」 普通のひとが幸せだな、と思う状況で、逃亡してしまう女。真摯な愛の告白を受けたとき、動物園で逃亡してしまう。自分を探す彼氏の姿を確認しては、巧妙に逃げきる。絶対に見つからないようにするために。冷静にキリンを見ている迷子の小学生送り届け、地下鉄入り口で待ち伏せした彼氏に見つかる。名前のつけられない感情があふれ、涙するが、彼女は失踪する。 つまり、メンヘラ女の話だった。終始、メンヘラ女の異常性がちりばめられているが、私はメンヘラ女の異常性を描きたいわけではない。メンヘラ女を必要とする人間の恐怖を描きたかった。ひとは相手がいるから、そういう「ひと」になるわけで、、、 女が逃げるシーンでも、走り出すそのときに、女が見える情景すらも比喩が満載だ。私はそういうものだと思いこんでいたので、習う気持ちで、レヴューを聞いた。いまでも、そうだ。 だが、私がおもしろい、美しい、素晴らしい、と思う作品をとって、Mちゃんは「わからない」と言った。まるで「意味が分かると怖い話」を読んでいるみたいだとも。 「意味が分かると怖い話」の解釈に正解はないと私は思っている。意味が分かると怖い話は、解説ができる情報が与えられていない。いわば、与えられた情報を補ったとき、矛盾のない情報であれば、すべて正解だと思う。 私の書いた「逃げる女」も実は「意味が分かると怖い話」だ。終始、メンヘラ女が逃げる逃げるギャグな話なのだが、文体はいたって真面目。どこまでも執着している「彼氏」の行動の異質さに気づけるひとは気づく。メンヘラ女も自分の感情に名前をつけることはない。もっと言えば、執着してくる彼氏の「独善性」に飲み込まれ、常識的な彼氏=大衆バーサス一=逃げる女の対抗図すら見つけられるはずだ。 私が「逃げる女」という作品で言いたいことは、大衆の勝手な思い込みってこええねww、ということくらいだ。形を変えて、それはどこでもいつでも、どの国にもどの家庭にもどのグループにも起こっている。
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