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「それが何で必要やねん」
いや、セックスシーンを描く文章が私にはどうしてもできないからであった。それを伝えると、なんでそんなもんを書く必要があるんや!!とつばをはいて笑われてしまった。
だが、私は本気で悩んでいた。セックスシーンのないラブストーリーなんて嘘だと信じていたからだった。ラブストーリーを書くならば、そのひとたちが恋している証明に、セックスを描くことが私には絶対条件のような気がしていた。
だからといって、セックスシーンが描いてある小説ばかりを読んでいたわけではない。だけど、村上龍の描く男女のそれには、セックスシーンが必ず描いてあったし、性的嗜好すらもエグく表現されていた。私はそういう手合いのものが好きだったわけではないが、それでも、描く必要があるだろうと信じきっていた。
それは描けないだろう。。。
今でも描くことができない。だいたい、セックスシーンは流し読みをするだけで、情事があったとわかる情報として脳は処理しただけだ。どこをそうして、こうして、などと言う話を静粛に読むこともなかったし、リラックスして寝転んでいる様で、セックスシーンを読むこともないだろう。
もし、それを味わいたいのならば、セックスすればいいとさえ、思う。だから、本当は私の描くものに、セックスシーンは必要ないのだろうけれども、それすらも判断することができずに、いつものように牛歩のごとく悩んでいたのだった。
…だが、セックスは重要な表現のひとつでもあるのでウンヌン。。
ワゴンレディをやったのは人生二回である。
アラウンドトゥエンティのとき。パチンコ全盛期もあいまって、5分で20オーダーが埋まり、ホールを走り抜けてコーヒーを運んだ。ただ、ただ、いかに、コーヒーをこぼさずに、お客にぶつからずに、走り抜けて、オーダーをさばくか、が勝負であった。この杯数記録は、そうそうないだろう。一日、ひとりで200杯を越えた。単なる肉体労働でしかなかった。髪は黒髪で、白いスクールソックスをはかされた。
アラウンドサーティのとき、一日ひとりで200杯など夢のような世界に変貌していた。その世界はお水商売のそれ、と似てしまった。つけまつげを強要され、髪はいつでもモリモリなギャル、髪は茶色しかダメだった。メイクは常にお色直しをさせられ、優雅に歩く練習まであった。ウォーキングである。
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