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…夫に出会ったとき、私は理由の分からない安心感に支配された。その安心感を求めて夫にすがった。どうしてか分からないが、安心できるひと、というなぞめいた位置から揺るがなかった。今も変わらない。
(それは私を女性として見ていないからだろうか)
それまでの恋は、なんだか窮屈な気持ちばかりだった。し、T君という忘れがたき恋愛などは別格でもあり、また、究極のラブストーリーでもある。いやあ、そうして過去の恋愛も振り返る必要はないが、私は振り返ってきたのである。
だから、セックス観にしても恋愛観にしても、Sちゃんに話せることは話した。魂が肉体に宿っているという実態も踏まえると、私の言っていることは真実であろう。(たぶん)
恋とは、心と心のやりとりである。
生きているので、できることとできないことが、絶対的に生じる。できないなかでもがき、できることはしてあげる。相手ができないなら思いやりをもつ。できることには最大の喜びを伝える。できないこととできることのはざまで、相手との心のやりとりを丁寧にやるのが恋。
10代の恋愛ってそうだろ?
それでいて可能性という未来があるから、きらめいてるんだよなぁ
大人はそうはいかない。現実に幻滅してしまうから恋を恋でなくしてしまう。現実を円滑にさせるために恋はしておくべきだと思うが、私も夫を想定するとなかなかできないのでわからない。
本当は、ここに愛がはいってくると、相手のために何ができるかをおおしあげようという働きがでてくる。相手のために自分の力を蓄えたり、実際にそれを行使するようになる。生きていく力のほうで、実際に現実的に何ができるかを負う。
だから、どんなシチュエーションでも恋ってできるんだぜ。私は恋に似た働きで、友達を見ているところもある。だから、Mちゃんを恋人だと勘違いしているときもある。
恋ができないと嘆いているのは、セックスできないからか?相手に心が通じないからか?ちがうぜ、あんた。それ、心を使おうとしてないからだぜ。
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