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下卑たゴシップ好きは、物陰でしとけ、と妹の友人の天然さに呆れた。ゴシップが好きなひとがいるのは仕方ない。
私は興味がない。もし、いくらかの事実を知っていても、ひとに明らかにはしない。必要がない。必要な理由すら分かりたくない。それも推測での噂。雑談であれど、内容には気をつけるべきだとも思っている。私はニコニコして、教職を辞めてもとの自分に戻っただけだと笑っておいた。
そもそも、赤毛にしただけである。疲労の塊でなくなり、服を全て入れ替えた。職務に着る服を全て押し入れに入れた。数年着ていないプライベートで着る服をもとにもどした。で、不倫なのかよ。。あほくさ。
私のチェンジを驚くのは、私の若い頃を知らない転居者だ。つまり、妹の友人の義理の姉がビックリした。それに談をとって、それかよ。下品。
ひとはこうして、両極端にはわかれない。ただ、これらの技術を使い分けることができるのが、真の霊能者。後者の行動パターン技術をもっていない人は、異質さえを感じさせる。
だが、私は、どちらも気にしていないで、毎日を送っていた。
何が高みの視点なのか、もがいていた。
7月のブログで書いていたことは、私の葛藤でもあった。
あんな論理がいいもののわけがない、とも思っていた。
だが、結論に至るまでの過程のひとつだろうともふんでいた。
なので、もがいていた。もがいて、もがいていたら、発熱した。
ちょっとしんどかった。
大事なことは、私が具体的に話したアレソレなのではない。私が話したアレソレは、私が疑問に思ったことや怒ったこと、感じたことでしかなく、それが真実、ではない。感情や想い、も含めて、私に起きた事実であった。
世界のものの見方も、本当は、あれで事実でもある。
ちょうど、新人魔女さんたちがやっている。仏法で世界を見始めている。無我、でひととかかわることでわかることもある。今日も、そうした内容の話を聞いた。それでいい。私もかつて、通った。
ゆっくりとゆっくりと、理解を深めていった。何度トラックをまわったことだろう。私は、また、ひとへの理解を深め、自分をも理解した。ひとを理解することは、自分を理解することと同義だ。そして、ひとを理解しようとすることは、愛を動機にしたものだ。
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