反省しましたよっとな

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私を生かすために、ひとを生かすために一生懸命考えた。だから、ひとを区別して、それに合わせて自分をコントロールするなどが、正解ではないと知っていた。自分の位置を、ひとに合わせて変えるなどとしていたら、息をするだけで疲れてしまう。 なんて無意味な輪廻だろうとさえ、思った。 この阿呆な私にさんざん付き合ったのが、姐さんことMちゃんである。あのひとは、本当に素晴らしいひとでもあるし、「傾聴」をよく知っている。私は大学で勉強してきたし、ロールプレイングなどでカウンセリングを受けたこともあったが、あのひとの「傾聴」はトップクラスである。 だが、彼女はそうした教育を受けていない。 ○彼女は、ひとの話を「自分のため」に聞いている。 ○彼女は、ひとの話を「おもしろい」と思って聞いている。 =無条件の肯定的関心 ○彼女は、ひとの話をとんでもなく素直に聞く。 ○彼女は、ひとの話を、そのひとの主観に基づいて聞く。 =純粋性もしくは真実性 =共感的理解 (ここに、私のゲシュタルト観がはいることもある) 彼女がこれを得たのは、彼女なりの経験値があってのことである。私のそれとルーツをともにしないが、それでも、結果物が同じであったことを考えると、学問や人生の歩み方など、どうでもよく思えたりする。彼女は資格もなにもないが、カウンセリング力は、高い金を払っていいレベルのものである。(なので集客力がある) マニュアルで行動レベルを変えたとしても、来談者中心療法が効くわけじゃない。ほんとうの心根で、そういう想いで、話を聞いているMちゃん。社会評価と実態と需要と供給が、おかしなことになっていると本気で私は思う。 彼女は、「私の葛藤」を聞いた。そして、「さばくな」と言った。私はその言葉を冷静に聞き、本当そうだなぁとぼんやり考えていた。 そしたらば、Mちゃんは「こわかった」と言い始めた。なんで?と聞いたらば、 「私は、アイアンさん(私のこと)に、こんなことを言いたくなかったの。だけど、アイアンさんは、私の感じたことを聞きたいって言ったから、一生懸命に伝えたの。アイアンさんは、それを聞いて、そうだねって言ったけど、 まるで、熊にであったかのように、足がすくわれる想いで、本当に怖かった。。」 そして、私はふっと気づいた。
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