反省しましたよっとな

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怒りは傷つきによるものだなんて、ひとを見ているときは知っていても、怒りをもっている状態になると、ふっと忘れ去ってしまう。怒りの根拠すらもわからないで、統御しはじめていたけれど、統御しきれないで残った怒りの破片が、私の不思議な現象を集めていた。 無意識に、かつ、的確に、傷つけることなく、指導 それは、本当は、ひとにとって、反省を促すような存在として、アリの世界なのかもしれないが、私の意思にはない。無関心だと言ってもいいくらいの気持ちのまま、そんなことを引き起こしたくなかった。 何よりも問題だったのは、ひとに対して無関心になってしまったことだった。 これは、Rくんとの電話で解決される。 私はひどく腐っていて、熱にも浮かされて、Rくんと話をした。怒りについて。そしたらば、彼の共感を得た。出来事はちがうけれども、怒りをもてあましていることは同じだった。そして、そのもととなる傷つきも別ではあったが、両者ともに傷ついてもいた。だが、なめあうこともなかった。 私はRくんを見て、「傷つき」を内包する閉じ込められた「怒り」は鬱を引き起こすことを知っていたし、そうしたひとは「感謝」されることが大事だとも知っていた。 私は家族から感謝されてはいない。霊能者なのでわかるし、そうそう言葉ももらってもいない。 私はじゅうぶんにMちゃんとの電話で感謝し感謝されてもいた。だから、「ふてくされている」だけだったが、このRくんの電話の段になって、本気で彼に感謝した。演技でもないし、行動を先にしたのではなくて、本気で彼に感謝し、彼に伝えた。 彼はひねくれ者ではあるが、本当は優しくて、ひとが大好きで、「あきらめること」を知らない、ちょっと可愛いバカなだけだ。絶望しない「あきらめ」が大事なんだけど、これを若者に伝えることは難しい。だが、こうして葛藤しながらも、彼は、本当はずっと、ずっと仏を愛していることに気づいて、私は彼に感謝したんだ。その姿を私に教えてくれてありがとうと思った。私は、嬉しかった。そして、愛すべきバカを発見し、私は深く安心した。ひとに関心をもてるようになった。 だが、絶望しない「あきらめ」が、さらに、私をひきあげていく。
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