第1章

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「ありがとうございます」 そう言って彼女は僕から資料を受け取って行った。 この会社に来てこの台詞を聞くのは一体いつぶりだろうか。 始めの頃はみんなそう言ってくれる。 でもだんだんと誰も言わなくなった。 なぜならそれが通常業務だから。 いちいち言うのも面倒くさい。そう顔に書いてある。 別に感謝の言葉が欲しいわけじゃない。だが同じ会社で働いてるのであればお互いがよりよく仕事をするために『ありがとう』の一言があってもいいんじゃないだろうか。 仕事が出来ない。そんなレッテルを貼られたのは入社してすぐ。 電話応対もまともに出来ない。人と話すことが苦手。 そんな自分がよく就職できたもんだと思う。 母親はこんな僕の就職をとても喜んでくれた。 試用期間が過ぎて配属されたのは資料室。 ハッキリ言って入社してすぐに窓際にやられたようなものだ。 過去の膨大なデータに囲まれる。 滅多に人が訪れる事がないこの部署は、僕と僕の上司の古市さんの二人だけ。 古市さんは社内不倫がばれてここに配属になったと本人に聞いた。 『墓場だよ』そう古市さんは言うけれど、人と接することが極度に少ないこの部署は自分にはピッタリだった。 新入社員はもれなくどの部署も体験することになる。 ここに新しい人間が入ろうが入るまいが。 数人の新入社員と一緒に彼女はやって来た。 ここの仕事の説明なんて必要もないだろうに。 ただ資料を保管して、必要な時に出してそれを渡す。それだけだ。 毎日大量の資料の整理に追われる。それだけ。 必要な時だってそんな頻繁にあるわけじゃないから、ここに人がやって来ることは滅多にない。 重要な書類でない場合最悪メールで済ませることもできる。 その中でも彼女は割とここを利用する方だと思う。 まぁ新入社員は上に使われるから雑用の為資料を持ってこいと言われることが多いせいだろう。 そのたびに彼女はきちんと『ありがとうございます』と言って僕から資料を貰っていくのだ。 接点なんてそれだけ。他に接点の持ちようがない。 フロアで偶然すれ違うや、部署の飲み会で一緒になるなんて事はない。 全体での忘年会の時ですら人数が多すぎて誰がどこに居るのか把握できる状態ではない。 メールでこの資料が欲しいと彼女から届いた日は一日落ち着かない。 いつ彼女が取りに来るか分からないからトイレも我慢した。

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