第3章

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「斉藤」 聞いていなくても 聞こえていなくてもいい。 「お前は少しも悪くないよ。 悪いのは大人だ。 まだまだ成長過程の女の子に権力と暴力を行使しようとした大人が悪い。 勘違いにもほどがある」 さっき、迷った事を今度は迷わず実行する。 斉藤の右手を掬った。 丸められたティッシュの屑ごと、やんわりと包む。 指先が冷たい。 熱くなっているのは、頭と顔だけ、か。 「だけどね? 斉藤はこれから何度もこんなチャンスに遭遇するんだ。 あぁ、 興味がない、と、恐い、っていうのは違うよ?」 塾の教師、という職について生徒相手にこんな指導をするのは始めてだった。 「好意を抱いてくれた"いとうくん"に 何か嫌がる事をされた?」 「……ぃえ」 「その夜の後も何か言われたりした?」 「……言われてません」 そう、と頷いて ほぼ泣き止みかけた斉藤に向き合った。 「いとうくんは斉藤がどうしてそうなったか、という事より、純粋に斉藤だけの心配をしてると思う。 ひょっとしたら 自分が無理矢理だったのかもしれない 無茶させたのかもしれない ……嫌われたかもしれない とにかく、斉藤だけが心配なんだ」 心の問題は向き合うのが難しい。 斉藤のトラウマには信用できる相手がいる。 しかも、異性で ちょっとした、年上の。 「いとうくんに昔の事は伝えたくないよな? だったらごめん、と、待ってて、を伝えればいい。 気持ちを伝えればいいよ」 「……ふぇ」 「それで待てないなら、そこまでだ。 ヤリたいたげならこっちから願い下げだ、と 言ってやりなさい。 なんだったら父親として電話に出ようじゃないか」 ちょっとぶっきらぼうに言い捨てた。 ……いったいどんな指導なんだ。 「でもいとうくんはそんな事を言う子じゃないだろ?斉藤」 握った手が握り返された。 これが返事なのか。 反対側の手で、黒い髪を撫でる。 目を細めた彼女からはまだ、細く流れる涙が残っていた。
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