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春一はもう一度、鈴音に向かって頭を下げる。
複雑な話を聞かされて、鈴音はまだちょっと混乱状態だ。
でもひとつだけわかったことがある。
春一は、その美里という女性のために、ずっと銀行のことを調べていた。
鈴音に近づいたのも、そのためだ。
支店長の広瀬のことを、鈴音から聞くため。
鈴音が期待していたような気持ちは、どこにもなかった。
鈴音は乾いた笑いが自分の中に沸き起こるのを感じた。
ずっと、勘違いしていた。
ずっと、ひとり相撲だった。
こんなこと、めずらしいことではない。
自分はいつだってそう。
他人の気持ちが読めない、鈍い女。
だから、
「来生さんに謝ってもらわなくていいです」
せめてこれ以上、春一の心の負担になりたくないと思った。
「ちょうど準備も出来ました。出ていきます」
自分に言い聞かせるように宣言する。
春一は、顔面にボールでもぶつけられたような顔をした。
何故そんな顔をするのかわからないが、でも結局、何も言わない。
鈴音にこれ以上かける言葉はないとでも言うように、口をつぐんでいた。
仕事用のカバンは、許容量以上の荷物を詰め込まれて、不格好に膨らんでいる。
でも持ち上げられないほどじゃない。
春一にかけていた心の負担は、せめてこの程度だったらいいな、と鈴音は思いながら立ち上がった。
歩き出して、春一の脇を抜ける。
春一は床に座ったまま、微動だにしない。
ドアノブに手をかけ、せめてお別れの挨拶を、と思わずもなかったが、振り返れば、決心が鈍りそうだ。
駄々をこねれば、春一を困らせるだけだから……。
鈴音は、結局何も言わず、ドアノブを回した。
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