I think, therefore I am

2/7
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
「それでは今日はここまで。課題の英文はファイルに纏めて来週の月曜日に提出すること」  授業の終わりを告げるチャイムの音色が教室を満たす中、初老の教師は厳めしい表情のまま静かに言った。  東堂美鈴(とうどうみすず)はびっしりと細かな文字が刻まれた教科書のページに目を落とすと惨憺たる気分に陥るが、それを表情には出さずに密やかな溜め息を一つ、吐くだけに留めた。 「あの……東堂さん」  ふと隣の席の女生徒から声を掛けられ美鈴は目が覚める。優等生で通っている自分が憂鬱そうな表情をしていたらそこを弱みに漬け込まれてしまう――そんな強迫観念にも似た思いを抱いていた美鈴は直ぐ様、何ともないような微笑を――ちっとも面白くないというのに――取り繕ってから同級生に相対した。 「どうしたの。……あー、田中さん」  視界に映った女生徒はあまり面識のない子だった。記憶から彼女の名前を掬い上げるのに僅かな停滞と集中を要したが、それを悟られることなく美鈴は淀みない口調で、あまつさえ口端に微笑を湛えながら少女の名を呼んだ。曲がりなりにも高校生活三年の内の貴重な一年、既にその半分を共にしているクラスメートの名前を度忘れしてしまうのは我が事ながらに薄情な人間だと思うが、美鈴にとって名前とは他人を呼ぶ為の略式でしかなかったのだ。その為、美鈴は自分に有益と感じた教師とほんの、本当にごく僅かな同級生。その他で形成された数人の名前しか記憶に残さなかったし、それを悪癖だと解消せず、寧ろ進んでその傾向にあったと言っても過言ではなかった。 「東堂さん……申し訳ないんだけど、ノートを貸してくれないかな……? この前、私休んじゃって――」 「――あぁ」  またか、と。眉を下げ、瞳を伏せて、済まなそうに顔を俯ける少女を見て美鈴は何度と知れない侮蔑と嘲笑の感慨を得ながらも、また当たり前のようにそれを内心に留めてから鷹揚と頷いた。 「えぇ、いいわよ。はいどうぞ」  そんな事を言って優しくノートを手渡してやると女生徒はそれはもう心の底から嬉しそうな笑みを満面に浮かべて幾度と礼を言ってくるのだ。 「ありがとう! 東堂さんたら優しくって、その上綺麗で背も高くって、本当に完璧な人なのね!」
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!