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「今、何時ですか?」
苦しく呼吸を繰り返しながら、糸居沢子(いとい さわこ)は聞いた。ホームには、二人しかいない。乃部徹郎(のべ てつろう)と、沢子、だけだ。
「六時半。ご愁傷様」
徹郎は、読書中である。携帯電話で、暇なときは常に読んでいる。画面にタッチして、次のページをめくった。
次は、七時半にしか電車は来ない。焦ってもしょうがない。ホームのベンチに座る徹郎は、それを語っていた。
沢子は、彼の隣に腰を下ろした。もちろん、一人分は空けて。
「先輩、面白いアプリないですか?」
暇潰しだ。
「ないです」
徹郎はすぐにそうやって、出鼻を挫く。面白いのは読書だけだ、そう語っている。
「先輩は、作家になるんですか?」
沢子は聞いた。
「なりませんよ」
徹郎本人にはその気などなかった。
「本好きは、別に作家志望だからじゃないから」
「もしかして、Hな小説読んでます?」
「読んでねーよ」
徹郎は、笑った。
確かに、Hなシーンもある、純文学ではあった。
「ああ、寒い……」
突然、沢子が手を擦り始めた。わざとらしい、と徹郎は思った。こんな雪の日に、手袋を忘れる馬鹿はいない、と。
「馬鹿ですけど」
見透かしたように、沢子がそう言った。
「貸してやろうか?」
徹郎は言った。馬鹿だと思ったことへの、謝罪である。
「いいですよ。そんなセンスのない……」
「センスのない?」
徹郎は、聞き捨てならない。撥水加工で、携帯電話も弄れる代物である。しかも、フリース素材であったかいのだ。
「完全に素敵だろ」
「いや、全然……」
電車は、一時間に一本しか来ない。二人とも、市内の同じ高校に通っていた。片道一時間半。
この時間でも、遅刻、であった。
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