依頼 1

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 ジッと不満げに自分を見上げる志継に、これ以上黙っていれば非難の言葉が浴びせられると判断したらしい古崎は、心配無用とニッコリと極上の笑みを浮かべた。 「鞄は私が取ってこよう。君は教室の前で待っていればいい。大丈夫、みんなには私から上手く言っておくよ」  不敵な笑みを深めるこの男がどんな納得のいく説明をみんなにするのか、想像するだけで頭痛を催した志継だったが、まあそれでもいいか、と半ば投げやりに階段へと向かう古崎について行った。  廊下にまで聞こえる程ザワつく教室の前で立ち止まった志継は、お前に任せた、と古崎を見上げた。  生徒達が言い付けを守っていない事に微かに怒りの色を瞳に浮かべた古崎が、ガラッと大きな音をたてて扉を開けた。  それを合図に、教室内の空気が水に打たれたように一瞬にして緊張する。その教室内をゆっくりと見回した古崎に、生徒達が慌てて教科書を手に取った。  ニヤリと唇の端を上げた古崎は、ツカツカと静かに志継の机に歩み寄ると、手早く机の上の物を鞄へと詰めた。その鞄を手に振り返った古崎に、生徒達は目を合わせる事も出来ず、教科書を読むフリをしては密かに彼を盗み見ていた。 「斎藤だが、気分が優れないようなので早退させる事にした。みんな心配だろうが、心無い言葉で友達を傷つけるような事のないよう、私は願っている」  その声と眼差しで、この件に関して一切斎藤に何も言うなと半ば脅しを掛けた古崎は、廊下で待つ志継に鞄を手渡した。 「気をつけて帰れよ」  立派に教師の役を演じる古崎が、心配そうに志継の顔を覗き込んだ。それに軽く頭を下げた志継は、「ありがとうございます」と、これまたわざとらしく気分の悪い生徒を演じきっていた。  何故あれ程の大量の鼻血が突然出たのか、好奇心だけは旺盛な生徒達が二人を見つめる。            ――だが。一瞬二人が交わした視線の意味に気付く者は、誰一人としていなかった。
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