第1章

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 蜃気楼。中国では巨大ハマグリが吐く息だという説もある、光の屈折による現象だ。    広場には人だかり。いつものごとく。    「これは、なかなか」  大きな大きな、それこそここにあった大木ほどのハマグリがそこにい た。  友人は、逆さまの木があると言った。どうやって倒れずにいるかわからないが、確かに逆さまなのだと。  太陽がじりじりと私たちを焼いた。  脳の奥まで溶かしそうな熱線が、容赦なく空から降り注ぐ。  ――涼みたい。  冷気を求めて、隣の喫茶店に入る。  窓から見た広場には、ハマグリも蜃気楼もない。 「どういうこと?」 「どういうことだろう」  もう一度外に出る。  今度は、私には逆さまの大木、友人にはハマグリが見えた。 「木が逆さまになってるよ」 「ほら、私の言った通り。でも、今度は私、大きな貝が見える」 「それ、ハマグリだよ」  喫茶店に戻ってみると、やっぱり何も見えない。  わらわらと群がる、外の人だかりの声が聞こえた。 「ハマグリがいるんだよ!」 「いいや、逆さまの木だ!」 「いいや、ここには神様が」 「何も見えないぞ」 「陽炎しか見えないが」  ケンカを始める人たちがいた。  見えるのはハマグリだ、逆さまの木だ、いや神様だ、いや悪魔だ、いや陽炎だ。  自分が正しい、お前は間違っている。お前が正しいだって? じゃあ自分が間違っているのか? そんなことはない。絶対にない。だって、自分には、確かに、こう見えている。  冷たいコーヒーとアイスラテをすすりながら、私たちはその争いをぼーっと見ていた。 「ていうか別に」 「うん」 「何が見えたってよくない?」 「まあ、蜃気楼には変わりないしね」 「でも、ちょっとさ」 「うん」 「おもしろかったね」 喫茶店を出たら、次はいったい何が見えるのだろう。 猛暑の熱気に包まれて、炎天下で巨大な貝は、今日も幻想を吐いている。
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