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少女が胸にかき抱く腕をとり、少年は彼女を立ち上がらせた。
抵抗することもなく、手を引かれるままに少女は少年と向き合う。
彼の首元が少女の四肢と同じように落ちない泥で汚れているのを見て、警戒心がほんの少し緩んだ。
彼もまた、少女と同じなのだ。
安堵を表情に見てとったのだろう。
少年の肩からも、わずかにあった強張りが取れた。
「じゃあ行こうか。まずは、そうだな、靴がいるな」
日の差さない路地から通りへと抜ける間、少年はしっかりと少女の手を握っていた。
人肌の温かさに、凍り付いていた少女の心が溶け出す。
穢れた少女の手でも、少年は触ることを躊躇(ためら)わなかったのだ。
優しく光を投げかける空のもとへ出て、少女は眩しさに目を細めた。
空への憧憬は今でも消えていない。
だが、こんなにも穢れてしまった身では、あの空になど到底行きつけないだろう。
そんな少女を一瞥(いちべつ)し、少年はそっと彼女の手を引いた。
街路に出れば、そこには少女が恐怖したたくさんの人々がいる。
喉が締め付けられ、じっとりと脂汗をかくような緊張が少女を襲った。
金縛りに合ったように立ち尽くさずにすんだのは、ひとえに少年がいたからである。
人々の顔を見ないよう、長髪を垂らして顔を隠し、乾いた地面ばかり見て少女は歩き続けた。
右手に少年の手の温もりを感じ、汗と食べ物の臭いのする熱気の中を歩く。
今どの辺りを歩いているのかすら知りたくもなかったが、そんな少女の鼻先に甘い香りが広がった。
どこからか漂ってきたバターと砂糖の香ばしい匂い。
ふんわりした甘さに少女は思わず顔を上げる。
視線はケーキ屋のショーウィンドウをとらえた。
見た目にも鮮やかで華やかな菓子がたくさん並んでいる。
そして少女は、ガラスに映る自分の姿を見てしまった。
ワンピースから突き出た痩せ細った四肢には泥が染みついている。
長髪に縁どられた少女の顔、らんらんと光る瞳で少女を見返すその顔も泥にまみれていた。
額から目の周りから鼻や頬、顎までも、泥を塗りたくったように穢れた顔がそこにはあった。
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