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寒い。
目覚めた少女が最初に感じたのは、身体の底までじんと冷やす冷気だった。
ゆっくりとまぶたを開け、手のひらがつかんだ冷たいぬめりに思わず跳ね起きる。
頭が瞬時に覚醒する。
怯える少女は身構えながらも辺りを見回した。
汚い色をした泥濘(ぬかるみ)が周囲を取り囲んでいる。
茶とも緑ともつかない、ヘドロのようなものにまみれた足先がひやりと冷たい。
つばを飲み込んだ。
これは少女の求めた景色ではない。
鳥籠の中でいつも行うように、すっと視線を上げる。
頭上を仰ぎ見る少女の口が小さく開かれ、絞り出されたような声が出た。
「あ……」
空が、ある。
籠の中から見ていた雲が、鮮やかな水色が、焦がれた光が、遥か少女の頭上にある。
どんなに手を伸ばしても届かない場所だ。
次第に鈍痛を首の後ろに感じ始めた。
鳥籠の中に座って、ずっと光を見上げていた時にも感じたものだ。
見上げていてもあの空に届かないことを、少女はよく知っている。
ぬかるんだ大地の中でもそのことを実感しながら、ゆっくりと地面に視線を戻した。
腐敗の大地――まさに、光とは対極にあるもの。
ベチャリ、と冷たい泥が音を立てて飛び散らかる。
泥を踏みつけた白い素足の裏に広がる、ぬるっとした感触に少女は顔をしかめた。
指と指の際にたまる濁った水から視線をそらし、ふらつくように歩き始める。
ここがどこかは知らなかった。
どこに行けばいいかも知らなかった。
ただ、少女はこの場所にいたくなかった。
焦点の定まらない瞳で遠くを見つめ、危なっかしい足取りで歩き続ける。
この場所にはいたくない、ただそれだけの思いに突き動かされていた。
空を見上げはしなかった。
足元の泥地には、二度と視線を落とさなかった。
少女はひたすら歩き続けた。
気怠さだけが彼女を支配し、さりとて泥濘の中に足を止めようとも思わず、歩を進めた。
どれほどの時間が経ったかはわからない。
そこに夜は訪れず、よって少女は穏やかな光の中、休むこともなく歩き続けた。
頬についた泥を落とそうとしたが、手についた泥とこすれあっただけだった。
やがて少女の足が引きずるように止まった。
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