驚かせるつもりはなくて、ただここにいたいだけだった。

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店長の計らいで、わずかな現金を握らされた。 「あの人にはもちろん内緒だ。これを持って……逃げなさい」 私には何もなかった。 私にはいるべき場所もなかった。 私には帰る場所もなかった。 私には頼れる人もいなかった。 そんな私が、一体どこへ行けるというの。 私は、公園の公衆トイレに入った。 今私の持ち物は、店長に渡された五万円。 着ている服や靴は、仕事仲間から貰ったもの。 それと、家の鍵。 だけどその鍵も、もう意味がない。 ここに来る前に、今まで住んでいた家に寄った。 両親は早くに事故で亡くなり、一軒家を貰い受けた。 家族で過ごした懐かしく、大切な思い出。 家の中にも、思い出の品や家財がそのままのはずだった。 家は、更地にされていた。 家は、売りに出されていた。 家は、買い手がついていた。 家や土地を売った金はもちろん。 私の手には、入らない。 私の、私達家族の思い出も、もう戻らない。 私の手の中にある、たったひとつの鍵は、存在理由を失った。 私のように。
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