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親もそんな私を心配してか病院の神経科に連れて行った。そこでつけられた病名は「仮面性うつ症」というものだった。
人生初にして最大の挫折といってよかった。
30年たった今考えれば、なんて小さなことで悩み、貴重な大学時代をムダに過ぎしたのかと思うのだが、あとの祭り。若く経験も浅い当時の私には問題を解決するすべを知らなかったのだと思う。
授業に出なくなることが続くと、自分の心にだんだん負荷がかかってくる。しかし、どうにもならない。
今で言う精神的な引きこもり状態に陥ってしまったとしかいいようがない。
_このようにして私は1学期をほぼ棒にふった。
誰か信頼できる友人や先輩がいたら、よかったのにと思う。
しかし、私にはそういった人がいなかった。
2学期こそ新規一転、再起して取り戻そう。そう思い、2学期の初めに語学のクラスに出てみた。知った顔はいたが、皆不思議そうな顔をしている。
皆の好奇の視線が私に突き刺さった。それでもがまんして語学クラスに出続ければよかった。しかし、私はここでまたしても逃げたのだ。せっかくの復帰のチャンスを逃してしまったのである。
そして2学期も出たり出なかったりの学校生活が続いた。
期末試験だけは受けようとしたのだが、学校でクラスメートだった人と顔を合わせるのが嫌で、ほとんどの科目を受けなかったのだ。2年からがんばって挽回しても1年間でとれる授業のコマには限りがあるので、1年生の終了時点で私は早々と留年が決定してしまったのである。このような状況に陥っても、私は親にも学校
にも相談できず悶々とした日々を過ごしていた。
私は、大学をドロップアウトしたに等しかった。
1年の出席不足で早々と留年が決まってしまった私。
2年に入るとき、考えたのはとにかく上限いっぱい授業をとって5年で卒業しようということだった。
それと1年遅れではあるがサークルには入ろうと考え、ヨットサークルの新人歓迎サークルに参加した。
逗子の海岸で初めてヨットに乗り、船酔いしながらも新人合宿を終えた。
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