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野球サークルだって同じだ。
しかし、私は長続きしなかった。そうした人間関係から逃げてしまったのである。
もう少しやり方があったろう。
1年を棒にふったのなら2年から再スタートを切ればよい。その祭、学内のカウンセリングなどを利用して一番良い方法を相談するという選択肢だってあったはずだ。しかし、大学はマンモス大学で、良きにつけても悪しきにつけても、自由放任で、ほったらかしだった。
私は大学に入る直前、父の職場の上司である裁判官と食事をともにしたとき、その方が言われた言葉を思い出していた。「大学というところは自分から行動を起こさない限り何も残らないところだよ」その言葉の意味を実感として噛みしめていた。中学、高校時代、人間関係を避けて帰宅部で通した私は、人生を生きる態度が全て受動的だった。それは長い間授業を受けて勉強をするというスタイルを続けてきた当然の帰結と言えた。
何もしなくても済んでしまう、それが私の通っている大学だった。確かに入学時の学力は全国でもトップクラスであったろう。しかし、落ちようと思えばどこまでも落ちていける場所だった。
大学5年生になって本来1年生が履修する体育の授業に出るのはさすがに恥かしかった。遠泳などというシーズンスポーツを選択したため、夏休みに館山にある大学の寮で合宿して泳がなければ単位がもらえないのだった。遠泳をとった学生の中で5年生は私ただ一人だけ。ほとんどが1,2年生の参加者だったので自分がやけに大人びて見えた。また5年生になって初めてゼミというものを履修した。法社会学というゼミだったが、このゼミへの参加が私が大学生らしいことをした唯一のことだった。1年生のときにメンタルを患い、ほとんど休学に近い状態で過ごした。そのときは早く学校に復帰せねばと気が急いて気がつかなかったのだが学生がどうなろうが一切無干渉というのがこのマンモス大学のいいところだとかえって思えるようになったのは5年生の体育の合宿の経験を通じてだった。
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