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大学5年生になって本来1年生が履修する体育の授業に出るのはさすがに恥しかった。遠泳などというシーズンスポーツを選択したため、夏休みに館山にある大学の寮で合宿して泳がなければ単位がもらえないのだった。遠泳をとった学生の中で5年生は私ただ一人だけ。ほとんどが1,2年生の参加者だったので自分がやけに大人びて見えた。また5年生になって初めてゼミというものを履修した。法社会学というゼミだったが、このゼミへの参加が私が大学生らしいことをした唯一のことだった。1年生のときにメンタルを患い、ほとんど休学に近い状態で過ごした。そのときは早く学校に復帰せねばと気が急いて気がつかなかったのだが学生がどうなろうが一切無干渉というのがこのマンモス大学のいいところだとかえって思えるようになったのは5年生の体育の合宿の経験を通じてだった。私は5年生にもなって一般教養科目である体育の授業を取っていることに大きなコンプレックスを感じていたが下級生たちは誰も違和感を感じないし何も言わない。浪人の多い大学だったから現役で入った私と年齢が同じの学生もいただろう。様々なバックグランドを持った学生がゼミにはいた。そんな人間とほんの短期間ではあったが交流できたのはこの大学に入って得た唯一の事だった。
あれから30年以上経った今だから当時の私の状況を客観的に評価できる。あれは長期間に及んだ受験勉強によるストレスが原因のノイローゼだったのだ。大学1年のときに1回だけ通った病院の診断「仮面性うつ病」というのが正しかったのだ。
当時、うつ病に対する理解は私を含めて周りもほとんどなかった。親は元気がちょっとなくて落ち込んでいる位程度に考えていたし、私もそのように思っていた。しかし実際はそうではなかったのだ。頑張っても元気がでないのである。受験うつというれっきとした病気だったのである。だとすれば長期休業を学校に願い出てしっかり治療に専念することが正しい選択だったのだ。それを病院に通うことを恥かしがり、治療もせず放置してしまった。当時メンタルな病気に対する偏見も強く理解も少なかった。公にすることは躊躇われたという事情もあった。そのため自分の心の中にしまい込んで大学生活を続けてしまったのである。人生で最も楽しかるべき貴重な大学生活で私は一体何をしていたのだろうか。5今、思い出してこみ上げてくる感情は後悔でしかない。
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