逃げてきた男

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小学校時代 小学校に上がるとき、父は国立の付属小学校を受験させたが、あっさり不合格。そのまま、近所の公立小学校に進んだ。 低学年では、ごくごく普通の少年だったと思う。 とくに「逃げた」という感覚を持った出来事も起こらなかった。 高学年になると、人間関係で悩まされることが多くなった。クラスに乱暴な子がいて、できるだけその子のそばには近づかないようにしようといった知恵がついたのもこの頃だ。 当時、私は野球をやったりサッカーをしたりという仲のよい友達と一緒に遊んでいたが、一方でませた子のグループからも目をつけられていて、そちらのグループに一時引っ張られたことがあった。 そのとき、私が自覚したのは私には主体性が全くないということだった。 中学時代 中学にあがるとき、部活動を何にするか友達同士で話題になったことがあった。 私は野球やサッカーが好きだったので、普通に考えれば野球部かサッカー部ということになるのだが、仲の良かった友達がバスケ部に入るというので、何も考えず自分もバスケ部に入ることにした。別にバスケがやりたかったわけではなかった。 相変わらず父は教育熱心で、分厚い受験関係本を買ってきて私に読むように命じた。そこには高校受験への心構えやどこの高校からどこの大学に何人入っているかというようなデータが載っていた。 私がつくづく主体性がないと自覚するのは、そんな面白くもない本を父に言われるまま黙々と読んだことだった。 父はさらに布石を打ち、近所の大学生を私の家庭教師につけた。私は黙って父の 命令に従っていた。何も考えずに入部したバスケ部だったが、1学期の半ばには出たり、出なかったりの幽霊部員になっていた。 夏休み前までに部活のほうは、出なくなり辞めてしまった。 なぜ辞めたのか?答えは簡単だった。嫌だったから。 ここで、またしても私は幼稚園の面接のときと同じ「逃げた」感覚を持った。みんながやっているのに私は逃げてしまった。おそらく、小さな挫折感が芽生えたのも、この退部がきっかけだったと思う。 帰宅部が家に帰ったってやることはない。テレビを見ている時間が長くなっただけだ中学時代、特にこれだけはやったと言えるものはなかった。 勉強だけは熱心にやったと思う。典型的ながり勉タイプ、かつ印象の薄い男、それが私だった。
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