逃げてきた男

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部活をやってない子はやはり部活をやっていない子と接近し、会話を持つ。会話の内容はおおかた参考書選びの話だったり、勉強中心だった。実につまらない高校生活だった。自分の息子が現在高2だがテニス部の練習や試合と文化祭実行委員の集まりで高校生は時間がないと家でもらす。高校生はそれでいいんだと思う。やりたいことを先送りにせず、やれるのは高校生のいまだけだ。では高校時代、一体私は何をやっていたのだろう。 平日は勉強勉強でストレスがたまり、週末は中学時代仲が良かった同級生2人とつるんで、公園に行ったり、ゲームしたりして過ごしていた。同じ高校に親しくしていた友達はいなかった。みんな勉強のライバル、と言う感じだった。 高2になると、そんな無味乾燥な高校にいくのがおっくうになることがよくあった。とくに日曜日、中学の友達と遊んだ翌日である。そんな気分のとき、私はときどき学校をずる休みして、学校へ行ふりをして家を出て、そのまま町外れに広い河川敷の公園で寝そべってぼんやりしていた。クラスのみんなから離されるという焦りを感じながら。 しかし、公園で寝そべっている時間帯は大きな開放感だった。 そんなことを年間で10日以上繰り返した。もっともこれ以上休んでは出席日数があぶないと分かって計画的にさぼっていたから、確信犯ではあったが。 このころから私は、少しずつ人間関係をさけるような癖が付いていったのだと思う。 おそらく、高校時代から私はすでにメンタルの病気になりかけていたのだ。対人恐怖、視線恐怖、引きこもり、そんな人間に向かって突き進んでいたのだ。これを食い止める方法はなかったのだろうか?と30年以上もたった今、考えてみる。 おそらく、なかったのだろう。我が家の価値観が勉強ができることが全てだったのだ。できないやつは駄目なやつ、おちこぼれ。そんなステレオタイプの価値観でしか人間を見ることのできない環境で育ったのだ。 自分も当然人をそうやって見てしまう。結果、人とうまく交わることができなくなっていたのだ。 普通ならぐれるだろう。しかし、わたしはぐれなかった。代わりに心に大きな矛盾をかかえながら、ほとんど存在感の薄い男として生きていたのだ。そんな私も高3になり、受験生となった。 高校時代を色に例えると灰色と答えるだろう。 当時の社会的な背景もあったろう。
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