プロローグ 

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しかし、 「春さん、それ私のハンカチです」 鈴音はあっという間に春一の元に駆けていった。 まるで主人の帰りを待ちわびた仔犬のようで、短い尻尾をブン回している錯覚まで見える。 春一が手に持っているのは女物のハンカチ。 鈴音が座席に忘れてきたもののようだ。 忘れ物に気づいて、鈴音は慌てて、春一に向かって走っていく。 そして同時に、夏樹と交わしたやり取りを忘れた。 全部忘れて、ただ春一の側へすっ飛んでいく。 鈴音の目には、最初から春一しか見えていない。 鈴音の春一のことが『好き』という気持ちに、一片の曇りもない。 そんなことは弟たちの誰もが承知しているし、春一もそれをわかっている。 だから、隙あらば鈴音にちょっかいを出そうとする冬依や夏樹を、春一は許しているのだ。 まあたまに自分を抑えられなくなるらしく、こうやって睨みつけてはくるが。 夏樹はそんな春一の視線をかわして、ふいとふたりに背中を向けた。 パーク内に散らばって行った弟たちからの連絡がないか、携帯を出して確認する。 ……まったく。 春一は弟たちに甘い。 自分の女に手を出そうとする男どもを、平静を装いながら放置している。 もしもこれが夏樹だったら、ライバルとみなしたら徹底的に潰す。 こてんぱんに潰す。 そこに弟だからって容赦や、他者との区別はない。 心情的に敵だと思えないのなら、鈴音とふたりで家を出ればいいのだ。 婚約者がいるのに、男ばっかりの家族と同居している必要など、まったくない。 だけど春一は、いまだ弟たちとの同居に甘んじている。 夏樹に言わせれば、鈴音を挟んだ恋敵として認めていないのかと、 「なめてんじゃねーよ」 ムカつきもするが。 でも春一が嫉妬に耐えてまで環境を変えようとしない理由は、 「4人が揃ってると嬉しいな」 そう無邪気に笑う鈴音の顔を見ていたいだけなのだろう。 実は夏樹も同じだ。
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