デュランのワルツ

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 緑が澄ました顔でピアノの前に座った。ようやくしっかりとペダルに足が届くようになった。 「いい? 今度の発表会で弾く曲だからね」  賢治が予想していたより確かなタッチで曲が始まった。  本当に驚いた。  あの曲だ。二十年前に一度だけ聞いた、あの曲。タイトルも覚えていないというのに、曲の旋律が記憶の奥底に残っていた。すぐにそれとわかった。  緑が弾いているのは間違いなくあの曲だ。  思わず、ソファに座っている聡子を見た。賢治と目を合わせた聡子は何も言わず小さくうなずいた。聡子は知っていたのか。そうか。  広い体育館の天井から眩しく降り注ぐライトと、じんわり汗ばんだ手のひら。  二十年前のあの夏、賢治と聡子は大学生だった。  賢治は一番町の南の外れ、片平キャンパスの近くにある風呂なしキッチン・トイレ付きの木造アパートから理学部まで自転車で通っていた。夏になれば地下鉄ができるらしいとは聞いていたが、南北に走る路線では広瀬川の西側に通うのには使えそうにもなかった。  広瀬川の東側だけで行動しているならともかく、川の西側に行ったり来たりする大学生で自転車派は少数派だった。大抵の学生は日常の足として原付のスクーターやバイクを使っていた。中免を取って250ccとか400ccのバイクに乗る学生も少なくない。もちろん、クルマを使う学生もかなりいる。  クルマがあると世界が広がるのだろうかと思いながら丸三年、賢治はずっと自転車に乗り続けていた。しかも高校生の時に通学に使っていたボロボロのロードレーサーをわざわざ実家の横須賀から輪行袋に詰めて夜行列車で運んできた。実家に置いて錆びさせてしまうのももったいないと思ったからだが、わざわざ持って来るより仙台で買ったほうが楽だったことに気がついたのはだいぶ後になってからのことだった。  川内の教養部に二年通った。理学部へはそこからさらに山道を上っていく。  横須賀の実家にいた頃もどこかに出かけるのにも坂道をものともせずに自転車を使っていた。それに比べたら仙台は楽だ。理学部までの坂道はさすがにきつかったが、もうすっかり慣れた。  仙台に来てからバスを使ったのは二回だけだ。入試の時に駅から。入試を終えて駅まで。
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