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LEDの蛍光灯が放つ人工的な光の中で、わたしは白衣の男と向かい合って座っていた。
広さ六畳ほどの小さな部屋が診察室だった。窓に掛けられたブラインドの隙間から、春の柔らかな日差しが差し込んでいた。
適度な柔らかさの一人掛けのソファに座ったわたしに向かって、白衣の男が優しく微笑んだ。
「山野百合香(やまのゆりか)さん、ですね。初めまして。精神科医の新堂(しんどう)です。よろしく」
「よろしくお願いします」
わたしは固い表情のまま縮こまって少しだけ頭を下げた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。何か、飲み物をお持ちしましょうか」
そう言って立ち上がる新堂の姿にわたしの体を一層の緊張感が支配する。
新堂は診察室の奥に置かれた小さな冷蔵庫からステンレスのボトルと小さなグラスを一つ取り出して、壁に据え付けられた白いデスクの上に、ことり、と置いた。
グラスとわたしとの距離は約五十センチ。
無機質で透明な空っぽのグラスに、わたしの視線が釘付けになる。
新堂は手にしたステンレスボトルのフタを開けると、グラスに少しずつ透明な液体を注いでいった。
ボトルの口から流れ出る液体がグラスの空間を徐々に埋めていく。
流れの中で空気を抱き込んで、いくつもの気泡を伴った液体が水面を波打たせながらグラスを満たしていく。
息が、詰まる。
透明な液体がグラスを満たしていくにつれ、わたしの体は徐々に強張り、それは徐々に痙攣に似た震えに変化する。
瞳孔が開いて視線が遠くへ抜けていく。
呼吸が、できない。
「ひっ」
必死の思いで視線を逸らし、左手でグラスを薙ぎ払った。
新堂が一瞬驚いた様子でステンレスボトルを引き上げる。
かしゃん、と音がしてグラスが床に落ちた。
水が床に飛び散る。
デスクの上から振り払われたにも関わらず、床に落ちたグラスは割れなかった。
あまりにキレイなグラスだったので一見分からなかったが、どうやらプラスチックかアクリルでできたコップのようだった。
こうなることを予想していたのだろう。
心臓の鼓動が未だ高鳴りを抑えない。
呼吸は少しずつだが正常に戻りつつあった。
これが、このクリニックをわたしが訪れた理由。
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