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僕は膝を拳で叩いて力の抜けた足を無理やり動かす。
ふるえる膝を叱咤して立ち上がる。
意を決して振り向いた。
日陰が消え、刺すような日差しが顔に当たる。
視界の先で大きな影が欄干から落下していくのが見えた。
僕は駆け寄る。
実際は足が動かず、上半身を欄干に叩き込む。
必死に手を伸ばして黒い影のようなものを、抉るように、掴んだ。
今までに触れたことのない感触のものが、確かに僕の右手に握り込まれる。
ラジオのノイズのような音が指先から伝わって来る。
それは重力を持っているらしく、ずずっと僕を引き込んでいく。
「浩二、また一緒に遊ぼぜ」
打ち付けた顎や胸に痛みは感じなかったが、どこからか血が流れているのはわかった。
「早く体に戻ってや。な」
びくっ、と影の塊が震えるのを感じた。
「浩二、お前まだ死んじゃおらん。骨折ったけど、死んじゃおらん。神社で聞いたんじゃ、魂が抜けて迷ってるってな。だから、迎えに来たんじゃ」
びくっびくっ、と影の塊が更に震えるのを感じる。
「手に刷り込んだ菊の花の匂い、わかるか? お前の病室の花束から持ってきたんよ。その匂いを辿って戻れ。早く。医者はお前を見捨てようとしてるし、お前の家族も諦めようとしてるし、機械もお前の活かすのをやめようとしているし、な、早く戻ってくれ。僕にはこれしかもうできんで!」
気を失う前、叫んだのか嗚咽したのか自分でもわからなかった。
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