飛梅第一章

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冬本番の厳寒は、西の筑紫の地でも堪えた。食べ物も、贅沢なものは分け与えてやれず、日に日に旧風は痩せ衰えていった。  寒さと病に、苦しみ悶えながら、道真の祈りも虚しく、旧風は亡くなっていった。大宰府流謫になって一年弱、道真が旧風にしてやれたことといえば、僅かながらの食料を与えて、漢文を教授することだけであった。親らしいことを、何一つしてやれなかった。  道真は、ろくに飲んでいなかった梅酒を痛飲した。飲むと頭に血が上り、抑え切れない涙が眼から漏れ出た。頬を伝ってぽとりと落ちた涙が、盃の液面を乱すと、涙が際限なく溢れ出してきた。さめざめと涕泗(ていし)した。  それは、愛する息子の儚き短命を悼む心と、不遇な自分の数奇な運命を悲しむ心の両方の併さった涙だった。  それまで、ろくに酒など飲んだことが無かったのに、息子の死と生活の貧を、流謫と濡れ衣を、祖業を続けられなくなった情けなさと天皇に通じなかった忠誠を、全てを忘れようとして、涙ながらに一晩で全て飲み干した。  横にはまだ、茂子が生き残って、何も知らずに眠っている。そんな徹夜の暁に、道真は穴を掘った。旧風の埋葬用の穴で、汗と涙まみれになりながら、男児一人分の直方体の穴を、夜が明けないうちに掘った。  次の日の朝、旧風の遺体をその直方体の中に滑り込ませると、道真は茂子とともに幼い兄子を埋葬した。茂子は、死の意味もよく判らないまま、泣きじゃくりながら、亡き兄の体の上に、土を被せた。  その穴を埋めた土砂の盛り上がったところにひとつ、飲み干した梅酒の中から梅の実を取り出して、植えた。旧風の魂が芽吹いて梅になり、いつまでも我々家族と共に居られるようにとの祈りを込めた戯事だった。アルコールに漬け込んだ種が生きているはずが無いのは、百も承知だった。しかし、そうでもしないと、道真自身が、悲しみに押し潰されてしまいそうだった。
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