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飛梅
一.
部屋の南から差し込む散光は、空から降り落ちる春の淡雪を、灰色に映え写す。
晩冬とはいえ、この荒屋の建て付けの悪さは、障子を閉め切っていても、隙間風をよく通して、病身の道真には、酷く応えた。
「吾子(あこ)、囲炉裏(いろり)に薪をくべてくれ」
火に当たっていた茂子(しげこ)は、囲炉裏の片隅に持ってきてあった幾らかの薪を、白く霜の生えたように燃えている炭の上に、くべた。
このところ春に近付いて、柔らかな日差しが室内に差し込む日も多かったが、今日は寒の戻りで、京の梅の咲き乱れるのを思い起こさせるように、梅白色の冷たい雪が木々に降り積っていた。
――晩冬ながら、南西の筑紫(つくし)にしてこの降雪ならば、京の都は、かなりの雪に見舞われているかもしれない。
道真(みちざね)は、そう思った。
一昨年の今頃、道真は京を発った。五条の宣風坊を発とうとした時、正室の宣来子(のぶきこ)が玄関先に出てきて、言った。
「道真様、旅の気紛れに、これを……」
手には、小さな酒甕を持っていた。
「この邸の庭の梅の実を漬けたお酒で御座います。お守りと思って、お持ち下さい」
道真は、京を離れ僻地に赴いても、宣風坊や家族を忘れぬように、宣来子の善意としてそれを受け取った。そして、梅の木を家族の象徴として、一句詠んだ。
――東風(こち)吹かば、匂い起せよむめの花、主なしとて春な忘れそ
しかし、宣風坊に残る家族の一員として詠んだ梅木は、その老いさらばえた樹幹が、最近髪に霜する道真自身に、どこか重なって感極まった。
そして、天皇家に尽くした先祖からの忠誠と、四世にわたる文章道の祖業を思い、仁和寺(にんなじ)の上皇に向かって、別れを告げた。
――流れゆく我は水屑(みずく)となりはてぬ、君はしがらみとなりてとどめよ
そうして北西の仁和寺の方向に礼拝すると、もう一度、宣来子と家族を振り返って、
「みんな、今までありがとう。家族は四散してしまうが、天子の御恩を忘れず、先祖の血脈に誇りをって生きよ」
と言うと、思い付いたように、家の納戸から琵琶を持ってきて荷台に積み、二頭立てのボロ馬車に乗り込んだ。
護送の者たちに促されつつ馬に鞭打ち、道真は、見送る家族と住み慣れた五条の邸から去っていった。
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