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外の雪は、しばらく降り止んでいる。庭には植えられてしかるべき梅や桜が、何一つ無い。流謫(るたく)の地の殺伐とした雰囲気が、あまつさえ厳しく寒くなる殺風景な庭であった。しかし、春の脚は、着実に近付いてきており、雪の解けた剥き出しの地面の上から、あちらこちら、雑草が伸び出してきている。冬とはいえ、ここ筑紫の国では、雪もそうそう積もらない。今日の雪華は、道真の病身を蝕む死神の予告か何かのように感じられた。
伏した床から上半身を起して、筆を取って紙に書き付ける。
石垣に満ち城郭に溢れて
なおも新たな雪華の往来
雁足に積る白絹は手紙の寄託か
烏頬(うきょう)に点ずる珍奇は帰京の縁起か
ここまで書いて、道真は筆を止め溜息をついた。
――京の梅花を愛でる日々を、いつか再び迎えることができるだろうか……。
道真は、ここ三日ほど、熱にうなされて寝込んでいたが、今回の病はどうも普通と異なる。間近に死期を覚悟した。
――幼き茂子を残して逝くのは、いかにも不憫(ふびん)だ。しかし、死神の触手は憚ることなく私に差し伸べられつつある。
「吾子、こっちにおいで」
道真は、茂子を呼び寄せ、片手で抱き寄せる。
「いいか、茂子。私が、居なくなっても、独りで強く生きていくんだよ」
そのように、無責任にも励まして茂子を今だけ元気付けるのも、ことさら罪深いことのように思い、道真のこころは痛かった。
――この延喜(えんぎ)の世、宮廷では、醍醐(だいご)帝により世の中は平安に治められているように思われがちだが、貴族の親を失い、賭博で身を立てる者や路上で琴を弾く者も居ると聞く。これは他所事(よそごと)ではなく、我が子にも降りかかりつつある不運なのだ。まだ幼い吾子、路上で物乞いにでもなろうものなら、死んでも死にきれない。かといって、独り五条の宣来子のもとへ訪ね行かせるのも危険すぎる。いっそのこと心中しようか……。
道真は、本気で、鬱々とそのように悩んでいた。
左遷の詔が宣せられたのは、一昨年の昌泰(しょうたい)四年(九〇一年)一月二十五日のことである。
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