第1章

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日本の一番長い日を観た。 そこに至る状況を知る人には、胸を打つシーンも多かったのだが、それをどれだけの人が理解出来るのか?演じた俳優達も素晴らしかっただけに、それを少し補足してみたい。 阿南大臣が、侍従武官時代に、お言葉を述べようとした昭和天皇に、後ろからスルスルっと近付いて、服装の乱れを直したのはよく知られている。こんな事をしたのは、阿南さんだけと言われていて、どんな些細な事でも疎かにせず、誠心誠意を尽くして仕える人柄を良く表している。 作中で『積極は、どんなに努めても神の線よりは下だ』という阿南さんの言葉が語られていたが、それ以外にも、『勇怯の差は小さく、責任感の差は大きい』とか『徳義は戦力なり、闘いは徳義が無くてはならない』とかの言葉があり、その責任感、積極性、味方を見捨てない、敵にも情をかける徳などから、知将とか勇将とかでは無くて、徳将と評価されていた事を知って欲しいと思う。だから、彼が陸軍大臣に決まった時、少壮幕僚が大喜びしたのであり、彼の元なら、納得して死ねると考えた人間も多かったと思う。負けて死ぬ時に、納得出来るか出来ないかは、生きざま死に様の問題として、我々にも共有出来ると思うのだが、どうだろう? 話しを戻す。 天皇の服装を直した阿南さんを、侍従長だった鈴木貫太郎首相が頷いて見ていたのは、鈴木首相も又、阿南さんと同じ心情の持ち主だったからで、四年間も、二人は天皇に共に仕えている。鈴木首相は、海軍大将であり、日清戦争と日露戦争に参戦し、その勇猛果敢な戦闘ぶりで、『鬼貫太郎』という異名をとった人物で、海軍の要職を努める実務型の戦略家でもあった。 後妻となった「足立たか」は、天皇と秩父宮との養育係だった女性であり、天皇にとっては母のような方だった。だから、鈴木首相は、天皇にとっては父性を感じる人間であっただろうし、ある意味では心の拠り所だったかとも思われる。
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