第1章

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ミッドウェイ海戦以後の海軍は、徹底的に戦う姿勢に欠けているように見えた事は、前記した南太平洋&ソロモン海戦で判るのだが、陸軍の戦闘は、ペリリュ―島の玉砕にしても、不利な立場で善戦していたし、阿南さんが、司令官だったビアク島の戦いでは、海軍の協力があって、援軍が送り込めていたとしたら、勝つチャンスも大きかったし、多分、実際に1度なら勝てたと思うのだ。 その援軍を放棄して戦ったマリアナ沖海戦では、『マリアナの七面鳥撃ち』と言われた大惨敗を喫し、レイテ沖海戦も『栗田中将の謎の大反転』と言われた行動で惨敗。まともな軍艦はほとんど消え失せ、神風特攻隊を繰り出し、後では戦艦大和を特攻隊に使って沈めている。当時、硫黄島は既に玉砕していたが、承知のように、栗林中将は立派に戦って亡くなったし、沖縄でも激戦中だった。 ペリリュ―&ビアク&硫黄島と、陸軍は、アメリカ軍を恐怖させる程の勇戦敢闘をし、猛烈に戦意は高まっていたのだ。その根底には、日本本土にアメリカ軍を迎え撃ち、大軍同士で雌雄を決したいという、世界の陸軍軍人に共有する願望があったのは間違いない。 独ソでは、トブルク&レニングラード&ウクライナ侵攻等の大軍同士の決戦があり、独英にも、ロンメルの北アフリカ戦線の戦い等があったし、連合軍相手にも、イタリア戦線やノルマンディ上陸作戦等があった。が、日本の陸軍だけは、第二次世界大戦では、大会戦の機会が無かったのだから、それを希求した陸軍軍人の性も理解しなければならない。 そんな時期に、鈴木首相と阿南陸相は誕生した。 作中で、米内光政海相が、陸海合同に関して、『海主陸従でなければダメだ』と言った時、海軍には動ける大型艦は無きに等しく、アメリカ軍と戦ったら、それらの残存艦艇は、1時間も経たないで撃沈されてしまう=まともな戦いは無理という現状だったのだ。 現代日本では、海軍は善玉で陸軍は悪玉の扱いがされているが、善戦敢闘したのは陸軍であり、海軍はミッドウェイ以後はまともな戦いはしていないのが実情なのだ。マリアナ沖海戦の時には、焦って味方の飛行機を撃ち落としたり、レイテで敵前から反転したり……特攻隊として散った若い人達や、奮戦した下級軍人が居なかったら、それこそ海軍には名誉など残らなかっただろう。
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