第1章

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それを知った上で、米内海相の言葉を聞くといい。 鈴木首相や阿南陸相のような、政治的野心の無い人間の言葉と比較して、如何に政治的意図に満ちている事か…… 米内海相は、第二次世界大戦の前、日本と蒋介石の中華民国が戦っていた日支事変と呼ばれていた戦いで、当時は陸軍主体のこの戦いに、渡洋爆撃という無差別都市爆撃で参戦し、蒋介石との和平を難しいものにしたのだが、その海軍の責任者&当事者だった。又、独トラウトマン大使が示した和平案を、アッサリと棄てるきっかけを作ったのも、この米内海相だった。 海軍内では声望があったと言われ、日米開戦に反対し独伊との三国同盟に反対した偉人だと言われているけれど、何故渡洋爆撃を実行したのか?陸軍に対して、海軍の発言権を確保するという、政治的意図からでは無かったのか? 鈴木首相や阿南陸相なら、天皇が戦争を嫌っていたのだから、渡洋爆撃より、戦争を止める努力をしただろうと、俺は思う。 そんな観点から見れば、終戦の詔書を作成する時に、米内海相と阿南陸相が文言で争った『戦勢必ずしも好転せず』と『戦局は日に日に非なり』の違いに対する差も意味合いが変わって来る。 陸軍には、支那派遣軍という大軍があり、中国の戦闘では、常に数倍から10倍以上の中華民国軍相手に勝っていたのだから、彼等支那派遣軍としたなら、何故勝っている自分達が降服しなければならないのか、納得出来ないのは当然なのであり、事実、ポツダム宣言受諾の知らせに対して、盛んに反対の上申電報を送って寄越していた。 歴史にこの状況を求めるなら、三国志の蜀の滅亡時に例えられる。敵と対峙していた姜維が支那派遣軍であり、南方総軍であり、朝鮮軍であり……こんな軍隊が3百万人もいた陸軍と、先に記したように、特攻隊以外に戦う方法が無い海軍の違いと。 米内海相が真に戦う兵士の心を理解する人だったとしたら、この文言を少しでも和らげたいという、阿南陸相の苦心を否定する事は無かったと思われるのだ。 作中でも、一旦退席した時に、和平派の自分に対してのテロを匂わされ、その後でいきなり阿南陸相に同意していたが、政治的軍人の限界をそこに見た気がするのは穿ち過ぎか。
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