第1章

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作中では語られ無かったが、阿南陸相が切腹する寸前の時に『米内を切れ』と言ったと伝えられているのは、この文言を巡るやり取りが原因だとされているが(米内を切れと言った後では直ぐに別な話しになり、この言葉は、阿南陸相が久々の酒に酔った故の、愚痴めいた怒りの発露)俺は、そこに海相として陛下と国民に詫びる事も含めた物だと思うのだ。米内海相が自刃しないだろうという事は、当時の知る人の全員が考えていた事であり、阿南陸相は、陸海相が死んで詫びる事の「滅びの美学」を求めたのかも知れない。 阿南陸相の自刃という、戦意旺盛な外地派遣軍に対する「敗戦のショック療法的な通達」という自刃目的に、海相の死という効果の上乗せという、そんな意識もあったのかと思う。 『2千万人が特攻で死ぬ』と主張した大西中将は、レイテ沖海戦の時に、初めて神風特攻隊を送り出した人として「特攻隊の父」と言われた人物であり、注:特攻兵器の生産は始まっていた=特攻隊を送り出す際に、その事実を天皇が知り、戦争を止めよと言い出す事を期待していたと伝えられている。しかし、事実上は、天皇ご自身の気持ちとは別に、そんな事を言い出す事など不可能(可能なら、そもそも戦争自体が起きなかった)であり、特攻隊はこの日まで続けられていた。大西中将は、特攻隊として散った人達に魅入られていたのではないか…という見解があるが、俺は違うと思っている。 勝つ事を願って散った特攻隊の人達の気持ちの中に、戦争終結の願いを含めた部分がある事を知り、2千万人の特攻隊で勝つ(アメリカの譲歩で)方法を声高に叫びながら、そんな異常な方法でしか勝てない現状=敗戦の現実を訴えていたのでは無いだろうか? 日本はまだ負けていないと叫んでいた阿南陸相は、現実には敗戦を自覚していたから、本土決戦用兵器の展示をし、こんな兵器しかありません、勝てませんと、言外に敗勢をアピールしていたが、大西中将も同じ。あの展示兵器を見たら、2千万人の特攻隊と聞いたら、まともな人間なら終戦に賛成する。
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