第1章

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終戦の翌日、特攻隊の人達に感謝する言葉と共に、大西中将も自刃しているのが、その証明では無いだろうか? 荒尾大佐は、阿南陸相から後を託された。 別れの際に受け取った葉巻は、荒尾家の家宝扱いとされて残り、荒尾大佐は、最後の陸軍兵士の復員まで、全精力を結集して努力して、立派に約束を守った。 田中軍司令官は、皇居の反乱軍を鎮圧した後、やはり自刃した。 畑中少佐と行動を共にし、その後上野公園に立て籠った終戦反対派の説得に行った人は、彼等に撃たれて亡くなっている。死を前提にした説得だと承知の行動だった。 阿南陸相が、畑中少佐らの行動を知りながら、穏便な処置を依頼した事を、非難する人もいる(法の厳守は阿南陸相の信念であり、それと反するから)が、俺は、法と情のギリギリの選択が、鎮圧という決定=法と、軽い処分という情なのだと考える。負けていないと考えている戦意旺盛な人達の行動は、負けない為の意志を教育した、陸軍幼年学校長として勤務した阿南陸相には理解出来ていたからこそであり、田中軍司令官の自刃も、心情的には同意だからだと思うのだ。 海軍では、上層部の自刃は大西中将だけだった事も、(宇垣中将の最後の特攻出撃は別)知って欲しいと思う。 追記 それまでポツダム宣言受諾反対の上申電報を送って来ていた外地派遣軍は、玉音放送と阿南陸相自刃を知り、一斉に終戦へと方向転換した。 阿南陸相の前任者杉山元帥も、妻と共に自刃した
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