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「えー、でも優希は炊き込みご飯よりパパのマグロ丼のほうが良かったなあ」
中学生の頃から光則はひとりで食事を作っていた。仕事に出ている母親の帰りはいつも遅い。朝は母親が用意してくれた食事を母親を起こさぬよう気をつけながらひとりで食べた。学校から帰ると食事を作り、ひとりで食べる。習ったわけではなかった。納豆だけの日も、卵かけご飯の日もあった。
料理が楽しくなったのは最近だ。平日の朝だけでなく、平日の夜も作る。料理だけでなく梅干やらっきょう、数年前からは味噌も仕込んでいる。それまで味噌汁が苦手だった優希が、自家製の味噌ならおかわりしてくれる。妻や娘が喜べばさらに力も入いる。マンションのベランダでは風も日差しも強過ぎて野菜が作れないのが残念だった。家庭菜園があったら育てた大豆で味噌を作りたいぐらの気持ちだった。
「味噌汁は優希の好きなナメコと豆腐にするよ」
「やったー」
「いいなあ、ママも、今日、出かけるのやめちゃおうかなぁ」
「うん、そうしなよ」
優希は雅恵をまっすぐ見つめて言った。
「ごめんね、そういうわけにもいかないのよ」
雅恵は明るく笑った。
雅恵は今年の4月からPTAの役員を引き受けている。光則は全く顔を出さないので詳しい話はよくわかっていないが、ここ5年ほど会長を続けている近所の工務店の社長がPTAを仕切っているらしい。だから、役員とは言ってもやることはあまり多くはないと雅恵は言っていた。
それでもたまに集まることもある。今日は近所の居酒屋で先週の運動会の打ち上げだそうだ。学校の先生達も来る。いつものように雅恵は聞かない限り特に詳しく話もしない。雅恵がわざわざ美容院に行っても、この日のために洋服をクリーニングに出しておいても、いつもより念入りに鏡に向かって化粧をしていても、首筋に吹きかけた香水が今までに嗅いだことのない匂いでも、光則もそれほど詳しく聞くこともない。
昔からそうだ。もうずっと前から、雅恵は何も話さない。光則も聞かない。
「そうだ、今日はあと、コロッケも作るから」
光則が言った。
「ウソ、ホント? パパのコロッケ大好き」
優希が手を叩いて喜んだ。
「コロッケ、思い出すわね」
雅恵が化粧の手を止めた。
光則も思い出していた。
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