トルコ行進曲

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 学校で一番できのいい生徒というわけではなかったが、教官たちには気に入られていた。光則の書いたプログラムはよく他の生徒のための手本として使われた。基本がわかってると褒められた。  悪い気はしなかった。  専門学校には、光則と同じように経済的な事情で大学進学を諦めた学生が少なくなかった。大卒には負けたくない。近所の人や親戚に、胸を張って勤務先を自慢したい。だからこそ、新聞やテレビで名前を目にしたことのある大手企業への就職に誰もがこだわっていた。  その中で、光則はちょっと違っていた。周囲の学生も教官たちも、光則には研究職に近い仕事が向いていると言った。  もっと上に行けるかも知れない。心の奥底で何かが反応していた。母親がいなくなったことで自由になれた部分が無かったといえば嘘になる。夢物語のような勤務先への憧れと渇望。手が届くかも知れない。夢が夢じゃなくなるかも知れない。  その思いは押し殺していた。  雅恵の父親との約束は片時も忘れていなかった。  暑い夏だった。  あの約束以来、雅恵の父親は、家賃を受け取らないだけでなくバイトを終えて部屋に帰る光則に差し入れだと言ってはすぐに食べられる惣菜のコロッケやメンチカツを寄こした。光則がカップめんやインスタント食品で済ませていることは知っていたのだろう。惣菜の袋はいつも素手でそのまま持てないぐらい熱かった。  スーパーハヤタヤの惣菜売場でアルバイトではなく社員として働いている未来を想像した。研究所で端末に向かう未来を想像してみた。どちらもうまく想像できなかった。  卒業の年の正月、光則は雅恵の父親から改まった口調で呼び出された。  卒業後、本当にハヤタヤで社員として働くつもりがあるのか、雅恵の父親はそう聞いた。  気がつくと、頭を下げていた。床に着くぐらい深く頭を下げていた。  もうとっくに決心はついていた。ずっと前から、決心はついていた。気がつかないふりをしていただけのことだ。  その瞬間、漠然と夢見ていた別の未来は頭の中から綺麗に消えた。憧れていた何もかもが、どこか遠くの思い出のようになってしまった。
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