トルコ行進曲

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 ノスタルジーという言葉は、ありえたかもしれない別の未来を想うという意味の言葉なのだろうか。  教官の多くは意外そうな顔をしながらも就職が決まったことを喜んでくれた。まずはきちんとした職につくこと、教え子の就職は教官たちの仕事にとってひとつの区切りだった。 「迷ったな」  そう声をかけてくれた教官がいた。いつも光則のことを気にかけてくれていた教官だった。 「いいか、就職は始まりだ。結果じゃないぞ。これからだ。先は長いぞ」  自分の人生の変わり目を区切りではなく始まりだと思え、そう言われていることは光則によくわかった。ただ、それで、消えてしまった未来への後悔と新しい未来への不安がなくなるわけではない。  ハヤタヤで半年も働いた頃にはそんな不安や後悔もすっかり忘れた。 「オレの跡継ぎみたいなもんだ」  社長はそう言って光則の方を叩いた。  三年かけてレジから精肉部、惣菜部を周り、金銭と労務管理の仕事も一通り体験した。社内からも取引先からも一目置かれていた。メーカーや商社からやってくる有名大学卒業の営業マンが自分に頭を下げるのは、慣れるまでは不思議な気分だった。慣れてしまえばどうということもなかった。  スーパーハヤタヤは変わろうとしていた。  社長は長年の懸案だった支店の展開を本気で考え始めていた。  本店からさほど離れていない畑が支店の候補地だった。元々は葉物の野菜を露地で作っている生産緑地だ。後継者のいない地主が高齢で農作業から引退したがっているという話を社長に取り次いだのは、最近になってハヤタヤと取引を始めた大手の都市銀行の若い営業マンだった。 「あそこの爺さんならよく知ってる」  光則も同席した自宅の応接間での打ち合わせで雅恵の父親はそう言った。  都市銀行の若い営業マンは、不動産会社の支店長という、これもどう見ても20代前半にしか見えない若者を連れてきた。 「若い頃は千葉で暴走族やってたんですよね。今はご覧の通り、真面目にやらせていただいております」  不動産屋はくだけた口調で笑いながら言った。
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