1人が本棚に入れています
本棚に追加
ぼさぼさの髪の毛に太い黒縁のメガネ、プレスが効いていないうえに少し膝の出たスーツを着ている銀行マン。髪に油を塗ってなでつけ、いつも原色のカラーシャツの上にキャラクター物の派手なネクタイを締めている不動産屋の支店長。タイプが全く違うように見える二人は、なぜかとても気が合うようで、しかも、二人とも社長には気に入られていた。そして、全くの偶然ではあったが、二人とも光則と同じ学年だった。
緊張感のある商談というわけではなかった。和やか、というわけでもない。だが、なんだか随分と気軽な感じで進んでいく不動産の買い取り価格を聞いて光則の膝の力が抜けた。コマツナやホウレンソウを作っていた畑にそんな値段がついてしまうとは。気楽な雰囲気だった雅恵の父親も、さすがにその場で判子を押すことはなかった。
「娘さん、ピアノ弾かれるんですね」
唐突に不動産屋が聞いた。
「ん、ああ」
そう言われて初めてピアノの音に気がついたように雅恵の父親は答えた。
「来年は高校受験ですね」
不動産屋が言った。
どうして不動産屋が雅恵のことを知っているのか、光則にはそれが少しだけ気になった。
その夜、4人で銀座のクラブに行った。雅恵の父親は既に銀行員に案内されて何度かこの店に来たことがあるらしい。光則が見たことのない晴れ晴れとした表情をしていた。こういう店に来るのが初めてでガチガチに緊張している光則に対して、まさに水を得た魚のように不思議なほど生き生きとしている不動産屋は、女の子達に愛想を振舞ったり銀行員や雅恵の父親の水割りを作ったりと、まるで自分もこの店の店員か何かのように忙しくしていた。
「ミッチーももっと飲みなよ」
不動産屋は光則にも酒をすすめた。
不動産屋がその場の思いつきで光則のことをミッチーと言い出したはずだったのに、気がつくと店の女の子達も光則のことをミッチーと呼んでいた。落ち着かなかった。
雅恵の父親の歌声やいつの間にか店の女の子と二人きりで話し込んでいる銀行員の声や相変わらず陽気にはしゃぐ不動産屋の声が遠くなっていく。
「大丈夫? 酔っ払っちゃった?」
声をかけてきたのは確か「明菜でーす」とか言って自己紹介していた女の子だったようなそうでなかったような。
それでも水割りをすすめられた。何曲か歌った気もする。
最初のコメントを投稿しよう!