死は安心の一歩手前に

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ルルルル。ルルルル。 良かった、停電で故障していない。 家の電話は電池式。停電で壊れたりしないのが良いところだ。 頼む、出てくれ……理乃。 顔を上げると、ガラス越しに人魚と目が合った。 赤色の目。人魚だ。 雨が全部、人魚に変わって降り注いでいる。 笑った人魚に変わって。 人魚? 人魚ならカバンの中にも。 肩と耳で受話器を挟みながら、カバンの眼鏡ケースを出し、ケースごと外へ投げ捨てた。 ガチャ。その音にさえも飛び上がってしまう。 電話が向こうで取られただけだ。 『はーい。ふじのです。パパはいま、いませんー』 楽しそうな声だ。良かった……。 「理乃、聞こえるか。パパだ。今帰ってるんだが、無事か?!」 『ぶじって、なにー? 理乃はメープルととっても楽しいんだよ! あ、メープルっていうのはね、猫ちゃんの名前。理乃がつけたんだよ。』 本当に、良かった。 今、公衆電話のガラスケースに打ち付けられる人形は雑音でしかない。 「絶対に家から出るな。いいな、絶対。理乃はいいこだからな」 『うん、いいこにしてる。あっ、ほらメープル、動かないでよっ』 「それからあの人魚。またもっと凄いの買ってやるから、捨てろ。よし、いいこだ。じゃあ……もうすぐ帰るな。」 そっと受話器を置いた。 公衆電話のガラス戸を押すが、開かない。地面には人形が散乱していた。 地面はとうに覆い尽くされ、見えない。 疲れてはいたが、ドアを蹴り飛ばした。あまり遠くへは飛ばなかったが、それもあっという間に人形に埋もれる。 目の淵ギリギリまで開いた細い口に、暗い赤の目。薄汚れたゴム。 それが空からも降り注いでいるのだった。 非現実。ファンタジー。 魔法めいた素敵な世界は、ない。 豆のような人魚の顔が埋め尽くす道路。何もないように人形を引いていくトラック。 血が出るわけでもなく、引き千切れる人形。 走った。ボールプールよりも足が動かない人形の海。 上からも次々に降ってくる笑った人形ーー。 もう沢山だ。 娘が助かればそれでいい。 何が駄目なんだ。何でこんな事に遭わなければならない。
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