1 猫

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龍一に泣き落としは通用しない。 だから、美百合が泣いて頼むなんてことはめずらしく、とりあえず、 「何があった?」 尋ねてみた。 すると、 「だってこの子、もうお母さんいないんだもん」 美百合は大泣きに泣く。 なだめながら話を聞いてみると、どうやら美百合が見ている前で、母猫が交通事故にあったらしい。 美百合の目の前で、母猫は死んだ。 そのショックに、動くことも出来ないでいた美百合の手をなめたのが、この仔猫だという。 「自分がお母さんを亡くしたのに、この子は私を慰めてくれたの」 猫の死を目撃して、美百合は未だパニックを引きずっている。 今、仔猫を無理やり引き離せば、ヒステリーを起こすに違いない。 龍一はため息をついた。 「だったら、新しい貰い手が見つかるまでだ」 美百合は、ますますギュッと仔猫を抱きしめる。 「えー、なんで?」 仔猫が、美百合の胸の谷間に埋もれて、ジタバタともがいている。 今にも窒息してしまいそうだ。 龍一はそれを、気にいらない、と横目で見やって、 「わかってくれ。俺の手には、美百合とお義父さんだけで精一杯なんだ」 何者かが侵入した時、襲いかかって来た時、 そんな場合の危機と対処法は、美百合や、一緒に暮らしている美百合の父親とも打ち合わせしてあった。 だがその身を盾に、人質に取られたら、 「最善の策をとる」 としか言っていない。 場合によっては、誰の命を選択するのか、龍一にもわからないのだ。 美百合もようやく、自分たちの危険に満ちた現状を思い出したようだ。 半分酸欠になっている猫に顔を寄せ、頬ずりしながら、 「すっごく幸せになれるとこ、探してあげるからね、ミャー」 と言った。
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