幼少期

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幼少期

最初に声に気づいたのは、僕が小学校にあがる少し前だったと思う。 その日は暖かく、風も穏やかで過ごしやすかった。 駅前の大通りで母親と信号待ちをしているときだった。 突然、声が聞こえてきた。 「おい・・・くっ」 ハッキリとした男の声、威圧的な大人の声だった。 「?」 誰かの会話が風にのって聞こえてきたのかと思った。 「行けよ!!」 「え?」 僕は周りを見回した。手をつないでいる母親の顔を見上げても、笑顔で見返してくるだけだった。 誰も声に反応した様子はなく、みな黙って信号が青になるのを待っていた。 「なにやってんだよ!くくっ、はやく行けよ!」 「え?」 耳元で聞こえた。 遠くから聞こえてくる声ではなく、明らかに耳元で話しかけるような声だった。 僕を知っている誰かがいたずらをしていると思い、周り見回した。僕に話しかけた様子のある大人はいなかった。 「おい・・・」 「え?・・・」 このとき初めて、自分の頭の中で声がしていることに気づいた。 「え?・・・だれ?・・・」 「さっさと、くっ、行けよ・・・渡れよ」 「え?・・・だれなの?」 母親が怪訝な表情をした。 「ちょっと、なに?独り言?気持ち悪いわねぇ。行くよ、ほら」 母親は僕の手を強く引っ張り、足早に信号を渡った。 手を引かれている間、すべてがスローモーションになり、一切の音が遮断された。 このとき母親が着ていた明るい花柄のワンピースと、建物に反射した日差しが眩しかったことを今でも覚えている。 これが、僕が覚えている最初にハッキリ聞こえた頭の中の声だった。 やがて声は日常的に聞こえるようになり、いつの間にか当たり前になっていった。 誰もが聞こえている、普通のことだと思っていた。
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