1 思い込み

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私の中では、なんだかいろいろ聴こえる感じの人生は、本当に当たり前のことでした。いろいろな音がいろいろに聴こえています。その中で、誰だかいまいちわからない何かからの声も聴こえていました。 「○○したほうがいいよ~」 「それは、○○だよね~」 私は、その話しかけられた声には、無視することなく返します。そうしている間に、会話は弾むばかり。どんどん深化していきます。   「これは特別に陳述することではない」と、殆どの人が行っている現象と思っていました。そのため、友人と確認し合うようなことは、学生時代までしてくることはありませんでした。私の中では、常識世界だったためです。 しかし、そうではないことを知ることになりました。社会人になって、何を不思議なこと、わがままなことを言っているのかと、指摘を受けることが重なってきたからです。そうした、自分自身の独自の世界を、通常の社会で反映させると混乱する。そのため、こう指摘を受けるのでした。 「その独自の世界を展開するのは、社会人として慎みなさい。」 私には、まったくをもって、納得ができない「社会人としての基本」でした。  「常識がない」  「社会人としてどうなのか」  「人のことをもっと考えなさい」  「論理的ではない」  「感情論でものごとを語るな」  「みんな、我慢しているのだから、あなたもそうしなさい」 こうしたご指導の山、山、山。 ご指摘を頂かない日は、一年に一回か二回、などという年も、二十代前半にはありました。その結果、転職八回、というとんでもない人生になってしまったともいえます。
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