1、教室

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1、教室

 チルトはぼうっとしていた。  机の椅子に座りながら、板の前で行われる授業をそっちのけに呆けていた。 「感動とは一種呪いである。感動させる世界のありとあらゆるものは、私たちに重さを与える。世界は私たちに呪いをかけるのだ。この地上から離れぬように。」  感情減量論と呼ばれる内容が、白髪の教師によって次々と解説されていくが、チルトはまるで聞かず、ぼんやりと、前列の隅に座る少女のことを眺めていた。  茶色がかったブラウンの、ふんわりとくせがついた、綿のような髪。  きちりと皺が伸びた、濃紺のブレザー。  胸にはいつもきらびやかな金色のペンダントを提げていた。  ぴんとした姿勢で、ノォトに硝子ペンをはしらせていく。  “お年頃”の少女は、教師受けが良さそうな優等生だった。 「それでは諸君らに、感情を捨てる方法を教えよう。それは二つある。一つに、感情を引き付ける記憶を消すこと。一つに、硝子に託すこと。前者は薬を用いるのが効果的だが、局部を消すことは難しい。後者は周知のように、ある程度訓練がいる。まず胸に破片を押し当て……」  教室の最前列で授業を受けているのは彼女くらいであり、残りの生徒は、一、二列は引いて席に着いている。  生徒たちにやる気がないわけではないが、授業ではそれくらいが適した距離だと、みんな思っているのだ。  しかし、彼女はいつも、一番前の左隅に座っている。  群を抜いたやる気というよりも、そこにしか居場所がないかのようだった。  何故なら、誰も、チルトも、彼女の名前を知らないからだ。  誰かが声をかけたことがあったかもしれないが、彼女はきっと、答えなかっただろう。  彼女はそれほど無口で、愛想がない。  彼女は日々の授業を、淡々とこなしていた。  そんな彼女に、誰かが構おうとするほど、打ち解けようとするほど、仲良くなろうと思うほど、逆に優等生の彼女を疎ましく思うほどにも、このクラスの生徒には情がない。
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