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今で言えば時刻は午前の一時を過ぎたころか。
伊東の遺体は油小路に捨ててあった。
気味の悪いほど静かな夜で、月だけが昼間のように辺りを照らしている。
「伊東さん」
篠原が側で声を掛けたが、勿論反応などない。
「行こう」
すぐに駕籠の中へ入れ小走りで駆け出す。
その時伊東の手がダラリと垂れた。
篠原は気無しにその手を掴み駕籠の中へ入れた、同時に笛のような音がして気配と殺気が満ちてくる。
明るい辺り一面を黒い影が埋め尽くす。
「駕籠を捨てろ」
篠原は言った。
すでに藤堂、服部、毛内は殿として刀を抜き斬り結んでいる。
幸いにも小路が多く周りを囲んでいるため包囲の層は厚くない。
それに三人は剣の達人である、他の隊士達も放って置けないのだ、こちらに構わないだろう。
「篠原さん、逃げるんですか」
鈴木三木三郎が悲痛に叫ぶ。
兄の遺体だ、持ち帰りたいだろう。
ここで駕籠から出た伊東の手を掴んだ時、べったり血が付いていることに気付く。
あれは逃げろと伊東が送った合図だ。
「ここで死ぬつもりか、生きて復讐するのだ」
鈴木の腕を掴み走り出す。
これでも柔術師範だった男だ、当身で包囲をこじ開けると抜け出した。
それに富山、加納が続く。
元より薩摩藩邸に逃げ込む算段である、あとは一目散に、息が切れても走り続けるしかない。
振り向いた。
三人は路を塞ぐように立っている。
藤堂が頷いたような気がした。
あとは振り向かず走った。
新撰組は意外にもこの三人に手を焼いた。
脱退や脱走が相次ぎ粛正も多かったために新入隊士が多かったのも原因だ。
しかしこの三人が一流の剣士であったことも関係している。
藤堂平助は言わずもがな、毛内は武芸百般を得意としなんでもそつなくこなすことから百芸の毛内と呼ばれていたし、服部は撃剣師範。
新撰組において剣術を教える立場であった、さらにただ一人鎖帷子を着込み長巻を持ち出していたために大いに手を焼いた。
すでに何人かの隊士は深傷を負い、あの大石鍬次郎もその一人で服部により戦線離脱させられている。
土方はずっとその様子を見ていた。
側に永倉と原田もいる。
苛立っていた。
「出よう」
原田が言った。
「隊士に任せておけ」
土方はニベもない。
「お言葉だが土方さん、このままでは死人が出るだけだ」
永倉は藤堂へ、原田は服部へ向かう。
人数に余裕が出来たのか、毛内へ隊士が殺到し傷が増えていく。
原田は服部の長巻に苦労した。
刃の嵐で迂闊に手は出せず、腕を斬られた。
服部は心得ており背中を壁に預け、前方に刃を振るう。
多くの隊士を戦闘不能にしたが、隊士達が足元に転がり不安定になったのと疲労により鈍ったところを原田に突き殺された。
毛内は隊士達に包まれ判別できなくなるほどズタズタに斬り殺された。
永倉は藤堂と切り結ぶと体勢を入れ替え身体を開き、南へ路を作る。
「逃げろ」
それだけである。
藤堂も身体中に切傷を負っている、これが最後の好機か。
一瞬の逡巡の後、永倉を押し込むようにして駆け出す。
そこに追い縋る隊士が一人。
三浦某という男で入隊した頃にとうに中年であった。
藤堂は新撰組にいた頃なにかと目をかけてやったことがある。
その三浦が逃げる藤堂の背中を存分に斬った。
永倉は思わず声なく叫び、手が空を泳いだ。
永倉の目からみて致命傷である。
藤堂は倒れ込みながら振り向き三浦の両膝を斬り割ったが軒下の溝へ頭から突っ込み死んだ。
膝を斬られた三浦も倒れ込みながら藤堂を斬った、功績を立てた事を騒いでいる。
そこへ土方がきて三浦へ一閃。
三浦は事切れた。
「士道不覚悟」
その言葉だけ永倉と原田に届いた。
三浦が藤堂の恩を忘れたためか、逃げる者を背中から斬りつけたことなのかは分からない。
が、藤堂平助はここで死んだ。
享年二十三歳。
しばらく四人の遺体は残党を誘き出す為にこのまま晒されたが、壬生寺へ埋葬され供養された。
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