第11章

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「諸君、この戦さは勝つぞ」 土方は隊士達の前でそう檄を飛ばした。 まず自分が勝てると思い込もうとしているのだ。 すでに正月を迎えていた。 土方以下、新撰組をはじめここにいる者は戦支度のまま年を越えた。 土方含め幹部は天王山の戦い同様、甲冑姿である。 二日も戦はなかったが会津藩先遣隊三百人が大阪から来た。 その使番が新撰組に挨拶に来た際に主力が明日到着することを告げる。 決戦は明日。 土方はそう決めると改めて地図を見る。 使番の話だと大阪から京に入る街道の鳥羽、竹田、伏見の三道を押して京まで進むという。 そうなると伏見から鳥羽に薩摩、長州、土佐の隊が東西にかけ布陣しているので衝突することとなる。 斥候が東寺に薩摩の主力約五百人がおり、そこから南にある鳥羽街道を抑えており、前哨部隊となる約二百五十人が陣を敷いている。 そこに何と大砲が八門。 これは破格の配備数となる、二百五十人に八門は通常有り得ない。 薩摩藩は薩英戦争から砲兵を重視するようになっているその思想家が現れた形だ。 伏見街道には長州反応約千人、竹田街道に土佐藩役百人、その予備隊が三百から五百人ほど。 他の街道は鳥羽ほど大砲はない、兵隊も少ない。 兵隊の数だけみれば差は圧倒的で幕府軍が勝つと誰もが思える。 が、しかし翌日の三日になると御香宮という、新撰組が布陣している目と鼻の先にある高台が薩摩軍八百人に占拠されていた。 あちらからこちらを撃ち下ろし放題である。
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