第1章

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 強く激しい雨の中で発せられたとはいえ、先ほどと比べて覇気が感じられない。しまった、とエリスは心の中で舌打ちをした。勘のいい者ならば、彼女のこの繰り返しの言動に、ある感情を察することが出来るだろうからだ。  それは、男からの一切の反応がないことに対する『焦り』。  しかも相手は、裏社会での生活が長い者である。相手の感情を察知し、その間隙を突くのに長けた連中だ。恐らく自分の『焦り』を利用して、何らかの行動出るに違いない。  しかし、とエリスは考えを改めた。力比べをする際、駆け引きの一環として、自分からわざと力を緩め、相手の隙を誘発させることもある。膠着した状態を脱するには、自ら隙を見せることも必要なのだ、と。  そう思うと、自然と彼女の心から焦りは消えていた。改めて賊の一挙手一投足に注意を注ぐ。 「くそ!」  盗賊の発した下品な言葉がエリスの耳朶を打つ。その盗賊の手には、ぎらりと光るものが握られていた。  反射した光の加減から見ると、恐らく得物は短剣の類だろう。 「……面白いじゃない?」  エリスは愛用の剣を構えなおした。眼前に剣の切っ先と、盗賊の姿を視認する。  全神経を戦いの為に集中させた。もはや、激しい雨の音すらも気にならなくなっていた。 「そこまで堕ちたか……」  そんな中、エリスを現実に引き戻したのは、後で沈黙を守っていたレヴィンから発せられた不意の呟きだった。その呟きには、明らかに怒りの感情が込められている。  突然、相棒の口から放たれた怒りの言葉、その真意をエリスは理解出来ずにいた。 「それ、どういう……」  しかし、彼女の疑問に答えを出したのはレヴィンではなく、皮肉にも彼女の言葉を遮った青白い稲妻の閃き。 「!」  稲妻の閃きこそは一瞬だったが、その光に照らし出された盗賊の真の姿から、レヴィンの怒りの理由を知るには充分過ぎる時間であった。  エリスはその中で確かに見た。短剣の刀身に塗られている漆黒の液体。即ち、毒。  武器に毒を塗ることにより殺傷能力を高めるのは、ゴブリンやコボルトといった、肉体的に人間よりもはるかに劣る下級の魔物が、自らの非力さを補う為に用いる手法である。
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