第1章

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 <1>  辺りに、柑橘類のそれを思わせるような、甘く酸味を帯びた香りが漂っている。  その香気に誘われるかの如く、男はゆっくりと目を覚ました。  ──頭が痛い。まるで大きな鐘を頭上で鳴らされているかのような痛みに苛まれる。  長き眠りから覚めたばかりか、意識はやや朦朧。目の焦点すら定まらぬ。  暫く待つと、男の視界に松明の火で薄紅色に照らし出された石造りの天井を捕えた。  暗い室内に寝かされているようであった。  男は状況を更に詳しく確認しようと、いまだ気だるさが残る身を起こそうと、上半身を起こそうと、腹筋に力を込める。  しかし、如何に力を込めようとも、その身体は一切動かなかった。  改めて、その身を起こそうとも、或いは捻ろうとも、肩も、腕も、腰も、脚も、微動させることすら叶わなかった。  首と上半身の一部が、辛うじて微かに動かせる事が精々。  これは、覚醒時特有の──気だるさの所為ではない。  巡回兵としてこの十年。街に巣食う悪党どもを、この腕と自慢の槍術で捻じ伏せてきた。齢四十を超えても衰えを実感したことは、一度たりともない。  故に、この異変は急な病や、疲労、加齢による衰えの類によるものとは思えなかった。  原因の解らぬ、だが、この明らかなる異常は男に恐怖を覚えさせるに十分なものであった。  戦慄し、全身から脂汗が噴出す。  その恐怖と戦慄が引き金となったのか、一斉に意識と触覚が鮮明となった。そして男は自覚した。  肩、手首、腰、脚、そして足首を包む、圧迫感にも似た感触が存在しているという事を。  微かに動く首と、目を動かし、五体を支配する何かを視認しようと試みる。そして、事実を知るや、男は驚愕のあまり、言葉を失い、息を飲んだ。  金属製の寝台に寝かされ、拘束されていたのだ。  それは、その寝台に備え付けられた革製の拘束具により、左右の肩、肘、手首、胸、腹部、腰、そして左右の大腿部、膝、脛、足首といった、身体の要所が全て固定させられていた。  捕らわれた罪人ですら、ここまで強力な拘束を施すであろうか?  この常軌を逸した事態に、男の焦燥は更に加速していく。 『なんだ、これは……』  男は言葉を発しようとした。しかし、猿ぐつわを噛ませられており、それすらも叶わぬ。
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