第1章

26/31
前へ
/31ページ
次へ
 この酒場では、酔いつぶれて帰宅が困難になってしまった人向けに、簡単な休憩施設も併設している。有料であるが、路上で眠ってしまったがために風邪を引いたり、物取りにあってしまったりする可能性を考えると、この出費は安いものともいえる。 「一部屋でいいかい?」 「二部屋だ」  嫌らしい笑みを浮かべる店主との、こういったやり取りにも慣れたものだが、これで二人揃って朝帰りが確定したようなもの。  また、先輩騎士達に盛大にからかわれるだろう。  それを思うと少し気が滅入った。  時同じく、サーディスは雇用主から管理を命じられた建物、その奥に潜み、今まさに至福の時を迎えようとしていた。  サーディスの視界には、見渡す限りの木箱の山。  その中には火薬と呼ばれる発火性の粉末が詰め込まれているため、火気を持ち込むことを厳しく禁じられていた。  一度、引火すれば、辺り一帯を焦土と化すほどの量があると脅されていた。  サーディスにとって、その指示に従うつもりなど毛頭ない。  実際、この場で幾度と無く隠れて火気を扱ったが、そのような事態に見舞われたことは一度としてなかった。  その経験則より、雇用主の言葉は、ただの虚仮脅しであると、彼は結論付けていた。  そもそも彼にとって、あの雇い主はただの金蔓に過ぎず、忠誠心の欠片も持ち合わせてはいない。  彼にとっては今の快楽こそが全てであり、生き甲斐でもあった。  先刻処分を命じられた、人間のものと思しき死体の一部を適当な場所に廃棄した後、サーディスは裏街道の奥に潜む、露店街へ至る道を急いた。  凄惨な作業の末に手に入れた金貨の入った布袋──一般の男性が半年働いて得られるほどの金は、数刻にして、たった十数本の葉巻へと姿を変えていた。  無論、ただの葉巻ではない。  この町の闇に潜む商人から仕入れた、特別製の葉巻。  吸うと高揚感と、心地よい脱力感に包まれ、その陰で心身を蝕むという魔性の葉巻。  無論、この類の代物を使用・販売問わず、取り扱う事は法により厳しく禁じられている。  騎士や巡回兵に見つかれば、即刻監獄行きになるのは間違いない。  だからこそ、火気を持ち込む事が禁じられている、この場こそ、隠れて葉巻を吸うのには絶好の場所であった。  サーディスは、いつものように火打ち石を用い、葉巻に火を点け、紫煙を燻らせた。煙を肺一杯に吸い込む。  次第に包まれる浮遊感。
/31ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加