第1章

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 しかし、賊も長年この貧民街を牛耳っていた訳ではない。この廃屋が彼らにとっての本拠地である以上、地の利は彼らにあった。  追われる者としての長年の経験により、こうした隠れ家で生活する際の備えとして、配下達を入り口付近、格上の者は家の奥に備えられた逃走用の抜け穴近くに配置して生活するという決まりごとを定めていたのだ。万一の際、部下達を盾にし、格上の者が逃走するための時間を稼ぐ為に。  今回も、その掟が功を奏し、結果、この首領格の男はレヴィン達の捕縛を逃れ、逃亡に成功していた。  夜空を、今にも雨が降りそうな重く厚い雲が覆い隠す中、レヴィンとエリスは男の後を追っていた。逃げる男の独特の走り方は、足音を立てずに早く走る盗賊独自の技術の賜物である。  恐らくこの男は、この卑劣な稼ぎをする以前に、盗みの類の経験もあるのだろう。そう、レヴィンは値踏みしていた。  そんな追跡行の末、とうとう男は袋小路に迷い込んでしまった。男の表情が後悔の念で歪む。  貧民外の地理に詳しい盗賊ではあるが、長時間に渡る全力疾走の末、最後の最後で逃げ道の選択を見誤ってしまったのだ。  逃げる側は追う側を意識しながら、常に逃げ道を模索していかなければならない。即ち意識が四散した状況の行動を強いられることに対し、追う側は、ただ追えばいい。  街中の逃亡劇において、逃げる側と追う側の立場の違いを、視点の違いはあれど、改めて認識させられた。 「もう、逃げられないよ。……観念しなさい」  そんななか、エリスが声を張り上げた。可憐な唇から漏れる息こそは少々荒いが、まだ余力は充分。  己の勝利を確信した彼女は腰より剣を抜き放ち、男に切っ先を向ける。  彼女の剣の刀身は、成人の脚の長さと同程度に作られている。修練を積めば女性でも片手で扱える重さである。刃は片刃、全体的な厚みを持たせることによって、耐久性も格段に高い。まるで彼女の為に作られたような理想的な剣といえよう。また、そのエリス本人もこの剣を大変気に入り、愛用している。  しばしの沈黙。  いつの間にか雨が降り始めていた。雲が唸り声を上げ、雨足は次第に強くなっていった。 「もう一度言うわよ。……観念しなさい」
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