第1章

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 <1>  その部屋は、静寂と宵闇が支配していた。  可視なる光は、大きな窓から差し込む月と星の光。そして、部屋の奥で揺らめく蝋燭の灯のみ。  銀の燭台に立てられたそれは、卓上に広げられた羊皮紙を淡く照らしていた。  それは、大陸西方部の地図。その傍らにあるのは、まだ灯のついていない燭台と、乱雑に並べられている白と黒の二色から成るチェスの駒一式。  闇の中から、白く細い手が現れ、駒の一つを掴んだ。  美しい女性の手。その手が掴んだのは、純白なる王の駒。  程なく、それは地図の上に置かれた。  地図の最西端に描かれた、街を指し示す記号の上に。  記号の傍、街の名が記されて然るべき位置にそれはなく、黒く塗り潰され、その下に新たな名が書き加えられていた。  ──『神聖ソレイア公国』と。  窓の隙間より入り込んだ、穏やかな夜風が蝋燭の炎が静かに揺らし、それは地図上に駒を置いた女の姿を一瞬だけ照らした。  闇の中に浮かぶは、豪華な椅子に腰をかけた、少女の面影を残す若い女。  女は唇には紅を施し、胸が大きく開いた黒い薄絹の衣を纏っていた。こぼれんばかりの豊かな胸、絶妙な曲線を描いた細い腰。およそ男を誘惑するには理想的な程の姿態を晒している。  その服装は、清純な印象すら与える顔とは、到底釣り合わぬもの。  黒髪を飾る、純白の羽飾りがひとたび揺れた。 「東方へと派遣しました、有翼鬼からの情報によりますと──」  暗闇の中から声がした。それは、女の正面──卓を挟んで遥か前方、部屋の入口付近に立つ人影より発せられた。 「騎士団長シェティリーゼと、司教ウェズバルド、そして、グリフォン・ハートのウェムゾン侯爵を先頭とした一団が、グリフォン・ブラッドの街に向かっているようです。数は五千ほど。その半数が騎士団に属する者。三割がウェズバルド配下の神官戦士。そして、残りがウェムゾン侯爵の私兵団と思われます」 「なるほど」  黒き薄衣を纏った女は呟き、もうひとつの燭台に火を灯す。  光量が増し、部屋中の光景を淡く照らすほどに視界が広がると、やがて二つの蝋燭の炎は部屋の入口付近に立つ、二人の人間を照らし出した。  一方は男。飾り気の一切ない、全身を粗雑な甲冑で包んだ、まさに流浪の戦士の風貌。
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